第13番
商家は櫛の歯を並べ   ガス燈電燈夜を照らし
通り三丁 四丁目や    続く中橋広小路
 
かつて櫛の歯を並べたように建ち並んだ商家は現在では、
そのほとんどがビルとなってしまっているが、やはり老舗がかなり残っている。
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明治7年(1874年)にガス燈がこの通りに
設置される。
明治19年(1886年)には「東京電燈」設立。
電気の送電が翌年から行われている。
 
この唱歌が作られる以前から
すでにガス燈も電燈もこの地に通っていた。
 
 
そして通り三丁、四丁目は今は都営バス停にのみ残る呼び名。
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実は、この「通り三丁目」のバス停はかつての
「通り四丁目」にあたり八重洲通りにある。
 
日本橋を起点として、中央通りを挟む形で
(日本橋)通り一丁目から四丁目というのがあった。
町名変更を繰り返しもうなくなってしまったが、
恐らく、日本橋から一町ごとに一丁目から四丁目が
あったのだろう。
ただ、昭和の初め頃はこの辺りは通り三丁目と
町名変更となっていたのも事実だ。
 
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突き当たりは東京駅の八重洲口。
その前に通る八重洲通りにそのバス停もある。
だが、あくまでも当時の東京市電は、中央通りを走っていた。
昔から、この中央通りが「電車通り」と呼ばれていたくらいだ。
 
江戸時代に存在した「中橋」の周辺にあった「中橋広小路」も一番下の右側の
写真のようになってしまっている。
今では、東京で「広小路」というと「上野広小路」がその名前を残すのみと
なってしまったが、もともと広小路といのがその名のとおり広い路なので
あちこちに存在した。
そして、第14番の歌詞に沿って京橋、銀座へと足を延ばした。