3年前の2010年12月16日に日付が変ってすぐの午前1時頃だったか?
我が家の玄関先に1匹の猫がやって来て扉を開けろ!開けろ!と鳴き叫び、
半ば強引にうちの敷地内に入り、そのまま『入り猫』としてうちの猫になった。
生後7ヶ月くらいのその猫は「うどん」と命名された。
「うにゃうにゃ」とか「うぅぅ~~~」と鼻にかかった声で鳴くので
「う~ちゃん」とか「う~」などと呼ぶことが多かった。
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上の写真2枚はうちに来た翌日に撮影した写真だ。
 
家に入るなり歩き回ったかと思うと、猫用トイレを見つけるなりそこで用を足し、
また一回りして猫用ベッドを見つけるとそこで丸くなって眠るというすごい猫だった。
 
すでに先住猫の虎王の横に強引に座り込んで一緒に寝ている。
先住猫は3匹おり黒猫ギョロちゃん以外は威嚇しまくったが、
この「うどん」は非常に賢く逆らわなければそのうち受け入れてもらえると
理解していたようで一切反抗せずにおとなしく、且、じわじわと仲間入りを果たした。
 
翌年の12月にはめでたく「うちのコ1周年記念」を迎え、
欲しがりもしないのに猫用おもちゃやら毛布やらをたくさん買い与えられ、
しかも、買ってもらったおもちゃや用品はすべて使ってくれるという良いコだった。
他の猫たちのように「せっかく買ったのに・・・」ということは全くなかった。
目の前に人間の食べ物を置いても食べたりしない。
呼べはすぐに「うにゃうにゃ」言いながら飛んでくる。
まるで犬のような猫で、肩の上に乗ったりおぶさったりするのが大好きだった。
食事中でも旦那は肩の上から「う~」を無理に下ろそうとはしなかった。
下の2枚はやってきて1年後に撮影したものだ。
 
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ちょうど2011年の秋くらいから、黒猫ギョロちゃんに噛み付いたりするようになり
ギョロちゃんとは隔離されるような形で1階と2階で別々に生活することになった。
完全に隔離ではなく、昼間は「う~」が2階の寝室で生活し、ギョロちゃんは1階。
夕方くらいまでは同じ寝室に他の2匹も入れて3匹で生活させ、
夜に寝室の扉を開放。 
人間が寝る時に「う~」は抱っこされて一緒に2階の寝室へ行く。
夕方から人間が寝るまでの時間は、ギョロちゃんもうどんも一緒だ。
相手が嫌いなら近寄らなければ良いだけだ。
実際はう~ちゃんはギョロちゃんが好きだったのだが、
ギョロちゃんがう~を嫌っていたというか、怖がっていたようだ。
小さかったはずの猫が自分よりも大きくなって、力も強くなってきたところに
じゃれついたはずみで噛まれたところが化膿したからだろう。
 
昨年の12月は2周年。
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先住猫の虎王やパチローとはとても仲が良かった。
だが、虎王は甘え下手な猫なのでもしかしたら、うどんのそばに居れば
自分も可愛がってもらえるかもしれないと考えている気がしなくもない。
実際うどんは甘え上手でもあり、叱られるとでんぐり返りをしたりして
拗ねるようなところもあったのだが、またそこが可愛らしくてついつい甘やかした。
青猫のパチローとは一番仲が良かったと思う。
何故か、食事の前になると自分たちのお皿の前で殴りあいをしていた。
かと、思うとどこへ行くにも一緒のような感じで2人(猫)セットで居ることが多かった。
 
今年の12月16日で丸3年。 3歳8ヶ月。
11月の半ばに呼吸が荒いのが気になり病院に連れて行った。
一番信頼している病院の院長が学会出席のために不在。
他の獣医師の診察だったので、仕方なく他の近くの病院へ。
ところが、レントゲン室でパニックになり呼吸困難であやうく命を落としかけた。
心臓が悪いとのことだった。
数日後、具合が悪くなり相談に行くも病院に対する不信感の方が大きかったので
その翌日、遠いが一番信頼できるドクターのところへ病院を変えた。
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上の2枚は病気になってからの写真。
もともと伏し目がちなコだったので、左の写真のような表情をすることが多かった。
 
 
 
 
 
前の病院で死にかけたこともあり、通院自体がものすごいストレスになるので
コンデジで撮影した動画と細かい観察記録をつけて、
それをもとに投薬治療をいろいろ変えながら試してみましょうということになった。
年末になったら、アタシの旦那が出張から戻るので2人であやしながらなら
エコーも撮れるだろうし、最悪はアタシが防護服を着て一緒にレントゲン室に
入る予定もたてていたが、急に投薬を嫌がるようになった。
失禁しながら暴れ、息も絶え絶えになるくらい嫌がる。
もう、こうなると通院やエコー撮影などは寿命を縮めるだけでしかない。
そして、病院に相談に行った12月20日の翌日。
21日の明け方3時過ぎに苦しみだして死んでしまった。
今まで見たこともないくらいの苦しみ方だった。
どんなに苦しいだろうが、替わってあげられない。
痛みも苦しみも死へのステップなのかもしれない・・・
そう思うしかないのも事実だ。
体をさすりながら、他の猫たちを呼び一緒に看取らせた。
 
あまり詳しくは書かなかったが、アタシ自身、後悔はない。
心臓と聞いて覚悟もできていたし、病気がわかってからは人間のベッドでは寝ずに
一階のホットカーペットの上の猫ベッドの横で毎日寝起きしていたので
ずっと一緒にいられた。
とても寂しいけれど、何故か、悲しいのだがそんな喪失感もない。
寿命がだいたいわかっていたので、思う存分一緒に過ごせたからだろうか。
 
それに数回ほど、不思議なことがあってオカルトチックではあるが、
もうあのコは完全に「向こう」に行ったと思えるのだ。
 
 
心臓の悪い猫様の飼育経験のあるブログ仲間のAさんからは
全く食べられなくなってしまった「う~」のためにいろいろなフードや療法食を
何回も送ってくださったり、「う~が死んでしまうよ」とアタシの愚痴のようなメール
お相手をしてくださったBさん、Cさん、Dさん、Eさん。
死んでしまってからは、「うどん」の「う~ちゃん」にきれいなお花までいただいた。
元気だった頃にアタシと一緒に寝ていた人間の寝室のテーブルの上に
飾ってある。Bさん、Cさん、Eさん、お花をありがとうございました。
 
3歳8ヶ月、ちょうど丸3年うちのコだった。
短いけれど、濃い3年で本当に楽しかった。
命があるから死もあるのだと思う。
いつかはアタシも死ぬから、またそのうち、う~にも会えるだろう。
 
また会えるその時まで、しばしの別れだ!
さらばぢゃ!う~ちゃん!