
薬の館の建物も細部に渡る、様々な意匠があちこちに見られた。襖の引き手。
鶴の釘隠し。
「持ち送り」部分にも火除けの「猪目」。この町は「松山千軒」と言われただけあって、
建物も密集しているので、この「猪目」の火除け模様は
雨どいなどにも施されている建物も多く見られた。
ハートのマークは「猪の目」模様で、猪=亥。
亥は、五行では水気。
陰陽では陰にあたるので、火除けと言われているのだと思う。
薬の館のあとに森野旧薬草園に行く。

右の写真の裏手にちょっとした小山がある。
森野賽郭氏が江戸時代中期に開園した薬草園。
もともとは、吉野本葛本舗で名を馳せたそうで
その後、薬草などにも造詣の深い11代目が
薬草園を造り幕府に献上を始めたそうな。

まだその時(8代将軍吉宗の時代)に下付されて
ここに残っていた。
その昔、唐の薬草として下付されたそうだ。
(テンダイウヤク、ナンキンハゼ、カンゾウ、
ニンジンボク、ニッケイ、サンシュユ)
今でもよく耳にする薬草の名前もある。
こんな昔から薬草として使われているのがすごいことだと思う。
現代でも通用する薬草を先人たちは大昔から活用していたのだ。

小山の上からは下の吉野葛の「晒し場」が
見える。
採集された葛を
「晒し場」で地下水で
精製するそうな。
地下水で攪拌、自然沈殿、排水、加水を何度も繰り替えし精製するのだそうだ。
寒ざらし、吉野さらしといわれているそうな。
不純物が取り除かれて最後に残った葛でんぷんを自然乾燥させて吉野葛。
12月から3月の間に採集し、晒し、乾燥。
手間もかかるが、だからこそ美味しいのだろう。
小山の上には賽郭夫妻と下僕だった方の木像のある祠もあった。
赤い暖簾がかかった右上写真の店舗では、もちろん吉野本葛や
現代風にアレンジしたいろいろなフレーバーの葛のお菓子も販売している。
森野旧薬草園を出て駐車場に戻る途中にも美しい佇まいの建物が続く。



一番右の建物は明治36年(1903年)に建てられた町役場の建物で
現在は福祉会館として使われているそうだ。

元郵便局だった建物で〒マークが
残っている建物も
残っていた。
ファザード部分もきれいに塗り替えてある。
この町は商業地区として栄えただけに歩いていてとても楽しい。
虫籠窓にしても、瓦にしてもそれぞれに工夫を凝らしてあるからだ。









葛だと、賽、森、草、などとそれがどこにあった瓦かすぐわかるようなものから、
モルタルで造られた大と書かれた瓦、新しい枠で囲んだ虫籠窓。
この町は細部まで凝っていて上を見たり、下を見たりと嬉しくなるくらい忙しい。

この町の銘菓の「きみごろも」。
卵の黄身をふんだんに使ったスフレのような
お菓子だ。
バラ売りで数個買った。
最初1つ購入し、その場で食べてみたのだがおいしいので追加で購入した。
なんとなく、南蛮渡来のお菓子のような感じだったので
お薄と一緒にいただくつもりが何故か、帰宅後に荷物の整理をしながら一気に
食べてしまった。


そして、久保酒造に最後に立ち寄り
「初霞」というお酒で造った酒ゼリーを購入。
お酒は持って帰るのが重たいので
日本酒ゼリーにしたが、
こちらは冷蔵庫で冷やした物と常温のままの物と両方試してみた。
もしかしたら常温の方が日本酒の香りが良いかもしれない。
もちろん、冷やしたゼリーもとてもおいしい。
目いっぱい、ガイドさんに案内していただいた。
この宇陀松山でも良いガイドさんに恵まれたと思う。
ただ、「歴史がある」とか「古い」だけを連発するガイドさんも多いのだが、
この町のガイドさんはかなり細かいことまで教えてくださり、
全体的な歴史的背景と併せての説明だったのでとてもわかりやすかった。
ガイド中に町の中で声を掛けられていらしたが、「先生」と呼ばれていたので
学校の先生でもされてらしたのだろうか??
とにかく、ガイドさんには感謝だ。
そして、車2台10人で奈良県のメンバーお勧めのカフェに立ち寄り
お茶をして帰った。









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