展示室を出てから居住室を見学させていただく。
机も奥にある茶箪笥は紫檀だろうか?
細かい細工も見事な茶箪笥だ。
ソファの後ろに見える引き出しは桐箪笥で
この部屋の裏側に
ある埋め込み式の
箪笥の引き出しと
両側から使えるようになっている。
堀炬燵のある部屋には一枚板を使用した
鏡台などの一見地味に見えるのだが
贅沢な調度品が置かれていた。
この堀炬燵は昔懐かしい電気式のヒーターが
下に設置されている。
美しい手すりのある階段を登り二階にあがると
「神棚の間」というのがあった。
名前の通り神棚がある。
格天井の部屋で、神棚の腰板の模様と吊られている照明の模様がマッチしている。
二階も和室と洋室の折衷から成り、
和室付近には「裏階段」のような物があった。
庭側の和室に出入りするのに便利な位置で
使用人用の階段だったのだろうか?
昭和13年の
建築当初に
設置された
湯沸かし器も残っている。
蛇口には
「上」と「湯」
の文字。
「上」は恐らく
上水道。
蛇口をひねるとそのままお湯が出たのだろう。
同じ時期に建てられたアタシの自宅よりも進んでいる!
2階の網戸は色が濃い。
蚊帳に使う素材で作ってあるのだろうか?
マントルピースやシャンデリアのある寝室には
サンルームのような小部屋がついている。
かつてのバルコニーだった場所を
改築して小部屋にしたそうな。
境目には亀甲の金網入りの強化ガラスと
普通の金網入りの強化ガラスが入った扉が使われている。
右上の上部にあるサッシ窓は
バルコニーを改築してから
取り付けられたものだそうな。
昭和13年(1938年)築。 岡田孝男氏設計。笠谷工務店施工。木造2階建。
もともとは鳥取に何代にも渡り、たたら製鉄を伝承してきた近藤一族の
七代目にあたる近藤寿一郎氏が建てた建物で、その後、人手に渡り
最終的に山本清氏が入手したようだ。
山本清氏は神戸にあった合資会社第一飲料鉱泉所を戦後に設立し、
その後東京に進出し食品会社を持たれたようだが、
現在はそれらの会社がどうなっているのかはわからない。
一番最初の会社の社名から察するにサイダーの会社だろうか?
(実は神戸市内に同名の会社がある。個人的には東京に進出した会社とか別に
この合資会社を残したのではないかと思っているので、一度訪問して確認しようと
思ってはいるのだがまだ実現できていない・・・)
話は戻るが、この建物を最初に作らせた近藤寿一郎氏の故郷の鳥取の
川の石をわざわざ運ばせて庭石に使っている。
近藤氏はたたら製鉄に使う木炭の乾留の副産物である木酢液から
更に手を広げ化学事業などでも活躍された。
不昧流という流派の茶道のお茶室で
にじり口ではなく、貴人口。
不昧流は松江の流派で
石州不昧流とも言うそうな。
近藤氏がいつまで居を構えられて
いたのかはわからないが、
山本氏は5番目の所有者だ。
建物見学はかなり自由に見学が出来、それぞれに写真撮影をしたあとに
夙川駅まで散策がてら歩くことにした。
そこから阪急電車に乗り
芦屋川駅で降りる。
ちょうどホームにあった柱が
昔のレールを再利用した物
だったようで1925の文字。
たまたま頭上にあった物を
撮影しただけなので、
他の年数のレールもあると思うがこれは1925年、
大正14年に製造されたレールだ。
駅から南に向かって下り
芦屋仏教会館の前を通る。
http://ashiyabk.org/contact.html
昭和2年(1927年)築の建物だ。
片岡安氏の設計。施工は大阪高橋組。RC造3階建。
免災構造で阪神大震災にも耐えた建物。
だが、震災後にほんの少しだけ移築して場所を変えている。
道路の反対側には教会。
何回か訪れているが、
いつも開放されており
この時もを見学させていただいた。
カトリック芦屋教会
http://catholicashiya.jp/about
そして道に迷いながらも
蒸し暑い中、延々と歩いて
訪問した打出教育文化センター。
http://www.city.ashiya.lg.jp/uchibun/topindex.html
明治期に
建てられた
鉄筋コンクリートの建物。
もともと
大阪にあった
逸見銀行の
建物を松山与兵衛氏がこの地に移築して、収集していた美術品の収納場所に
していたそうで、「松濤館」と名づけられていたそうな。
移築されたのは昭和5年(1930年)のことだそうだ。
扉には右から書かれた「濤松」の文字があった。
以前は図書館として利用されていたらしいが、現在は教育文化センターとして
活用されている。
そしてやっと芦屋警察署に。ここまで来ればもう駅は目の前だ。
昭和2年(1927年)に建てられたRC造3階建の
兵庫県内務局営繕課の設計によるものだが、
平成11年(1999年)から平成13年(2001年)にかけてファザード部分のみを残しての
大改修工事を行った。
建築当初のデザインはそのまま残してある。
玄関口のアーチの真ん中には夜でも目が見える
ミミズクのレリーフがはめ込まれており、階段を上がったことろには
ステンドガラスも残してあった。
ここは写真だけ撮影して、目の前の阪急電車の芦屋駅から電車に乗って
それぞれ帰路についた。
かなり昔だが、このブログでも一度アップしたことがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/41853191.html
机も奥にある茶箪笥は紫檀だろうか?
細かい細工も見事な茶箪笥だ。
ソファの後ろに見える引き出しは桐箪笥で
この部屋の裏側に
ある埋め込み式の
箪笥の引き出しと
両側から使えるようになっている。
堀炬燵のある部屋には一枚板を使用した
鏡台などの一見地味に見えるのだが
贅沢な調度品が置かれていた。
この堀炬燵は昔懐かしい電気式のヒーターが
下に設置されている。
美しい手すりのある階段を登り二階にあがると
「神棚の間」というのがあった。
名前の通り神棚がある。
格天井の部屋で、神棚の腰板の模様と吊られている照明の模様がマッチしている。
二階も和室と洋室の折衷から成り、
和室付近には「裏階段」のような物があった。
庭側の和室に出入りするのに便利な位置で
使用人用の階段だったのだろうか?
昭和13年の
建築当初に
設置された
湯沸かし器も残っている。
蛇口には
「上」と「湯」
の文字。
「上」は恐らく
上水道。
蛇口をひねるとそのままお湯が出たのだろう。
同じ時期に建てられたアタシの自宅よりも進んでいる!
2階の網戸は色が濃い。
蚊帳に使う素材で作ってあるのだろうか?
マントルピースやシャンデリアのある寝室には
サンルームのような小部屋がついている。
かつてのバルコニーだった場所を
改築して小部屋にしたそうな。
境目には亀甲の金網入りの強化ガラスと
普通の金網入りの強化ガラスが入った扉が使われている。
右上の上部にあるサッシ窓は
バルコニーを改築してから
取り付けられたものだそうな。
昭和13年(1938年)築。 岡田孝男氏設計。笠谷工務店施工。木造2階建。
もともとは鳥取に何代にも渡り、たたら製鉄を伝承してきた近藤一族の
七代目にあたる近藤寿一郎氏が建てた建物で、その後、人手に渡り
最終的に山本清氏が入手したようだ。
山本清氏は神戸にあった合資会社第一飲料鉱泉所を戦後に設立し、
その後東京に進出し食品会社を持たれたようだが、
現在はそれらの会社がどうなっているのかはわからない。
一番最初の会社の社名から察するにサイダーの会社だろうか?
(実は神戸市内に同名の会社がある。個人的には東京に進出した会社とか別に
この合資会社を残したのではないかと思っているので、一度訪問して確認しようと
思ってはいるのだがまだ実現できていない・・・)
話は戻るが、この建物を最初に作らせた近藤寿一郎氏の故郷の鳥取の
川の石をわざわざ運ばせて庭石に使っている。
近藤氏はたたら製鉄に使う木炭の乾留の副産物である木酢液から
更に手を広げ化学事業などでも活躍された。
不昧流という流派の茶道のお茶室で
にじり口ではなく、貴人口。
不昧流は松江の流派で
石州不昧流とも言うそうな。
近藤氏がいつまで居を構えられて
いたのかはわからないが、
山本氏は5番目の所有者だ。
建物見学はかなり自由に見学が出来、それぞれに写真撮影をしたあとに
夙川駅まで散策がてら歩くことにした。
そこから阪急電車に乗り
芦屋川駅で降りる。
ちょうどホームにあった柱が
昔のレールを再利用した物
だったようで1925の文字。
たまたま頭上にあった物を
撮影しただけなので、
他の年数のレールもあると思うがこれは1925年、
大正14年に製造されたレールだ。
駅から南に向かって下り
芦屋仏教会館の前を通る。
http://ashiyabk.org/contact.html
昭和2年(1927年)築の建物だ。
片岡安氏の設計。施工は大阪高橋組。RC造3階建。
免災構造で阪神大震災にも耐えた建物。
だが、震災後にほんの少しだけ移築して場所を変えている。
道路の反対側には教会。
何回か訪れているが、
いつも開放されており
この時もを見学させていただいた。
カトリック芦屋教会
http://catholicashiya.jp/about
そして道に迷いながらも
蒸し暑い中、延々と歩いて
訪問した打出教育文化センター。
http://www.city.ashiya.lg.jp/uchibun/topindex.html
明治期に
建てられた
鉄筋コンクリートの建物。
もともと
大阪にあった
逸見銀行の
建物を松山与兵衛氏がこの地に移築して、収集していた美術品の収納場所に
していたそうで、「松濤館」と名づけられていたそうな。
移築されたのは昭和5年(1930年)のことだそうだ。
扉には右から書かれた「濤松」の文字があった。
以前は図書館として利用されていたらしいが、現在は教育文化センターとして
活用されている。
そしてやっと芦屋警察署に。ここまで来ればもう駅は目の前だ。
昭和2年(1927年)に建てられたRC造3階建の
兵庫県内務局営繕課の設計によるものだが、
平成11年(1999年)から平成13年(2001年)にかけてファザード部分のみを残しての
大改修工事を行った。
建築当初のデザインはそのまま残してある。
玄関口のアーチの真ん中には夜でも目が見える
ミミズクのレリーフがはめ込まれており、階段を上がったことろには
ステンドガラスも残してあった。
ここは写真だけ撮影して、目の前の阪急電車の芦屋駅から電車に乗って
それぞれ帰路についた。
かなり昔だが、このブログでも一度アップしたことがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/41853191.html
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