munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2012年05月

28 5月

日本イエス・キリスト教団香登教会会堂

かなり以前から何度も前は通っているものの、写真を撮っていなかった教会。
タイミングが悪いのか?行くとバザーを開催していたりで、
なかなか写真を撮ることができなかった教会。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正12年(1923年)に建てられた会堂。
基督教棟梁と言われる、桜庭駒五郎氏の
設計・施工によるものだ。
木造平屋建、尖塔付3階建塔屋、木造2階建の
建物から構成される会堂で、昭和39年(1964年)に教会創立70周年を記念して
大掛かりな増築工事がされて、塔屋の奥(後ろ)にある会堂などが
新しく作られている。
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かなり風化しているが、
70周年増築記念1964と
刻まれた石が、塔屋の奥の会堂
の礎石になっている。
その後、昭和46年(1971年)に改築工事が行われ平成13年(2001年)には
後方に見える白く大きなゴスペルホールを新築、礼拝堂改修工事も行われた。
ゴスペルホールはヴォーリズ社の設計だそうだ。
正面に見える庇と手すり、スロープはこの時の改修時に取り付けられたようだ。
 
香登教会のHP
  ↓
 
 
香登と書いて「かがと」と読む。 岡山の小さな町だ。
24 5月

三社祭で帰って食べて飲んで歩いて・・・超ラッキーな3日間

先週末、三社祭りに参加するために帰省してきた。
 
土曜日の昼には、ブログ仲間のA氏と浅草神社の境内で会ってしばし話し込む。
A氏とアタシの出身は隣町同士で似たような環境で育ったせいか、
2年前に鳥越の祭りで一方的にお姿は拝見していたのだが、
ちゃんとお会いするのは初めて。
TVでよく耳にする標準語や関西で言うところの「関東弁」とは
全く異なる口調が心地よい。
 
その後、また祭りに参加したあとに今度は別のブログ仲間のB女史と合流。
喫茶店で話しながら、共通のブログ仲間でもあるC氏とD氏と落ち合い居酒屋へ。
彼らは写真が大変上手い方々で、写真ブログの運営もされている。
過去何回か、撮影会も一緒に行っているのだが、アタシは路上観察担当として
いつも参加させていただいている。
 
終電ギリギリまで飲んで食べて話してから、ゲストハウスに戻る。
お金がないから、外国人がよく利用するゲストハウスに泊まった。
女性専用のドミトリーなのだが、戻ったら全員就寝している・・・
うるさく出来ないので、そのまま顔も洗わずに着替えもせずにベッドに横たわる。
明け方、同室の女性が小さい声でコーランを唱えながら、お祈りをしていた。
そのおかげで寝坊することなく起きられたので、
シャワーを浴び鯉口シャツを替え着替え済ませ、いざ出陣。
 
雷門に行くとすでにB女史が来ていたので、
話ながら本社神輿と呼ばれる大きな神輿を待つ。
担ぎ手が少ないような感じで毎年担ぐまでが、おしくら饅頭のようで
ひと苦労んだが、今年はかなりラクに担げた。
B女史とはいったん別れ、祭りで数年前に知り合った友人たちが貸しきった
飲食店で休憩をしたあとに町会神輿を担ぐ。
B女史も再び戻って来て、午前中の町内神輿渡御の後に昼からいらしたC氏と
3人でランチを摂ったあとにアタシが知っているおもしろいスポットを案内。
口頭での道案内が非常に困難な場所なので
午後からの神輿は担がないことにして、3人で探検することにした。
この機会を逃すとなかなか2人を案内できないので、
午後は探検に切り替えたのだが、
思いがけない場面にも遭遇できたのでかえってラッキーだった。
 
そして夜、また居酒屋へ・・・
10時少し前に別れて今度は別のビジネスホテルで入浴、就寝。
興奮さめやらずで真夜中まで起きていたのだが、
朝、ダンナからの電話で目が覚める。
あと6分くらいで金環日食のリングが見えるはずだからと言われ
慌てて着替えて神谷バーのところでスカイツリーの横の金環日食を見る。
うちのダンナは朝、なかなか起きない人なのだが、
金環日食を見るために早くから会社に行き、溶接用マスクを借りてきて
見たそうなのだがリングは見られない場所だったそうで
部分日食しか見られなかったそうだ。
寝坊して会社をさぼるのでは?と懸念していたが金環日食のおかげで
遅刻することなく仕事にも行けたようだ。
 
昼近くに古くからのブログ仲間E氏を浅草に呼び出し食事。
このE氏も下町の方で、しかもこの方は怖ろしく口が悪い上に声がでかい。
だが、この言葉遣いや口調も嬉しい。
吉原土手の蹴飛ばし屋まで2人して歩いていったのだが、お休み・・・
米久で牛鍋を食べ、以前一緒に行ったことのあるお店でかき氷を食べ、
七味唐辛子屋でオリジナルむにゅブレンドを作ってもらい購入。
(寒くなったら、ブレンドの配合を変えてまた作ってもらうつもり。
 今回のブレンドはかなり好みで、リクエストして良かったと思っている。)
その後、下駄の鼻緒を見立ててもらい今度は、海苔巻きを食べる。
D氏がよく行くその寿司屋の別の支店にはかなり昔、よく通っていたのだが
浅草のその店には入ったこともなかった。イメージ 1
やはり、海苔巻きは旨い!
稲荷寿司もおいしかった。
東京の人間は、海苔巻き好きな人間が多い。
海苔巻きとは、かんぴょう巻きのことで太巻きの
ことではない。イメージ 2                        
散々食べて、
くっちゃべってから銀座まで一緒に
行き、そこで別れる。
           
                                                             
その後は、銀座でお話を伺いたいお宅があったので
突撃アポなし強引押しかけ取材を行い、ネットに出さないという約束で
かなり詳しいお話を伺うことができた。
 
夜行バスで戻ってきたのだが、バスも空いており今回はいつもとは違い、
少しだがバスの中で眠ることができたのでよかった。
 
なんだかんだの3日間だったが、今年も逢いたい人に会えたし、
お神輿も担げたし、探検も有意義だった上
おいしいものも食べたし、おしゃべりもたくさんしたし、
金環日食も見られたし、なんだか、良いことづくめの3日間だった。
 
大満足の3日間だった。
 
次回は来月の鳥越祭。
 
三社祭りで運を使い果たしたような気がしなくもないが、
またきっと良いことづくめになれる気がして今から楽しみでもある。
さて、鳥越に帰った時は何を食べようか・・・
17 5月

生き埋め物件

イメージ 1倉敷にあった「生き埋め」物件。
マンホールが生き埋めにされてしまっている。
 
かなり以前に似たようなマンホールを
東京の湯島で見つけたことがあったが、
そちらは生き埋めに近い状態でも
コンクリートが外れるようになっていた。
こちらは完全に塗りこめられてしまっている。
 
 
同様のケースだが、実は生き埋めではない物件の過去記事
       ↓
 
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・その165
 
 
 
 
16 5月

猫様 in うちの近所

うちの方は、周辺の町に比べて数度気温が低いのだが何故か雪は降らない。
最後に雪が積もったのはおととしだったか?
 
イメージ 1積もるといっても、ほんの少し。
滅多に雪が降らないので嬉しくなり
歩き回っていたときに
出会った猫様。
あるお宅の玄関先なのだが、
プラスチックの食品容器に
焼魚の食べ残しが置かれてあった。
この家の方が置いたのだろうか??
 
茶白の猫様がそれを見つけて
その後、焼き魚を食されていらした。
イメージ 2その後、この家の前を何度も
通ってみたが、猫様用の食事も
用意されておらず、猫様の気配も
全くなかったので、もうこの猫様は
どこかへ行ってしまわれたのか?
 
ここの猫になって室内で飼われて
いれば嬉しいのだが・・・
 
ハードディスクに放り込んで
埋もれていた画像で、
おととしの2月に撮った写真だ。
昨冬は、恐ろしいまでの極寒だったが我が家の近辺では雪は降っていない。
 
 
15 5月

第59回活動報告 楊輝荘 その4

平日などの空いているときでないと見学できないかもしれないが、
敷地内に残る倉庫になっている「蔵」にも下見の時に見学させていただけた。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
 
 
 
当時の重厚な扉がそのまま
使われている。
蔵として使われていたのだが、
現在は内部には特に
保管してはおらず、松坂屋の屋号の
マークがついた木箱がいくつか
残されているだけ。
扉には、もう1つプレートがついていてそちらには「大日本名古屋岩津金庫商会」と
書かれていた。このプレートのデザインは手にしているは、草薙の剣だろうか?
地下室もあったのだが、真っ暗なガランドウで何もなかった。
が、地下室を含め、そんなに傷みはない。
蔵というものが、いかに保管に適した建物なのかがよくわかる。
サークル当日は、やはりここはスルー。
どうしても土日の見学者が多いのでかなり端折った感じの案内は致し方ない。
やはり、ここを訪れるなら平日に予約をして訪れた方が良い。
予約をしにと、見学はできないのでご注意あれ。
そして、楊輝荘を出たあとはすぐ横にある日泰寺へ。
イメージ 8
イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鐘に刻まれた文字はタイ語。
 
 
どのの宗派にも属さないという「超宗派寺院」になるそうだ。
実際は僧堂が曹洞宗の管轄になるらしいが、ものすごく開放的な感じのお寺だ。
日泰寺に関しては、外務省のHPに記載された「日タイ修好120周年日泰寺」という
記事が一番、簡単でわかりやすいので、下記URLをご参照いただければと思う。
ウイキペディアよりも簡単かつ明瞭だと思う。
在京タイ王国大使館のHPにも記載があるのでそちらも貼っておく。
  
外務省(日泰修好120周年日泰寺)
     ↓
 
在京タイ王国大使館(タイカルチャー・覚王山日泰寺)
     ↓
(こちらには、大正7年(1918年)に建てられた伊東忠太氏の設計による
奉安塔の画像が載っている)
 
 
日泰寺から旧東山配水塔が見えたので、そちらにも回ってみた。
イメージ 10
昭和5年(1930年)築。
設計は市水道部。
施工は大倉土木によるもので、高さは
37.85mのRC造。
昭和48年(1973年)までは給水のための
配水塔として使われていたそうな。
実は、以前は26.9mだったのだが、
昭和58年(1983年)に改修され
屋根がついたことにより、高くなっている。
春分の日と名古屋の日8月8日にのみ
内部が公開されるそうだ。
現在は、災害時の給水塔となっている。
 
フェンスにへばりついて
この給水塔の写真を撮ったあとは、
愛知学院大学歯学部として使われている「旧昭和塾堂」を見に行く。
昭和5年(1930年)築。RC造2階建、4階塔屋付、地下1階。
手持ちの資料にはそれぞれ違う記載があり、まとめると設計は、愛知県営繕課。
課の酒井勝氏、安達武郎氏、黒川乙喜氏、尾鍋邦彦氏が設計メンバーのようだ。
施工は志水組。(前出の日泰寺の伊東忠太氏の奉安堂も施工も志水組だ。)
イメージ 11イメージ 12
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3戦時中は陸軍などが使用。
戦後は名古屋大学や千種区役所の仮庁舎などにも利用されたが、
現在は愛知学院大学の
大学院の歯学部研究棟として使われている。
八角形の塔屋を中心に3方にが延びるようにして「人」の字を描くようにして建てられているそうな。
イメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左上の写真も、愛知学院大学大学院歯学部の
所有の建物なのだが、この建物に関
全くといってようほど資料がない。
右上の建物は昭和6年(1931年)に建てられた付属の体育館で
現在は武道場「養心殿」となっている。
少林寺拳法教室の看板もあったので、こちらも現役だ。
昭和塾堂に関しては、名古屋市のHPをご参照いただきたい。
 
 
日が暮れてきたので、名古屋駅に移動しほとんど1日中でもモーニングを
食べられる喫茶店に寄り、夕方の6時頃にモーニングサービスを全員が注文。
あんこトーストと珈琲で一息入れてから帰ることにした。イメージ 6
たしか、300いくらだったと思うが、
飲み物だけの注文でも金額が同じだというので
迷わずに「モーニングであんこトースト」を注文した。
あんこトースト以外にもメニューがあったのだが、
名古屋といえば、あんこトーストだ。
何故か、あんこトーストのお皿に柿の種の小袋が
ついてきていた。
夜でもモーニングサービスというのが素晴らしい。
個人的には名古屋の食べ物が大好きなので、嬉しいサービスだ。
西と東のおいしい物のい良いとこどりをしている上に、独自の食文化もある。
帰りの駅構内では、お約束のお土産タイム。
鰻と卵の巻寿司と海老ふりゃ~弁当を夕食に購入し、
5時間以上かけて帰宅したのだった。
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