munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2012年08月

31 8月

東京市電唱歌を歩く~第4番

イメージ 1四番
神田神社の広前を    
過ぎて本郷大通り
右に曲がりて切通し
仰ぐ湯島の天満宮
神田神社。神田明神のことだ。明神様の鳥居の前はすぐ本郷通り。
歌詞の通りに右に曲がり坂を降りてまた登ると湯島天神がある。
神田神社に関しては、過去記事をご参照いただければと思う。
 
 
イメージ 4イメージ 5左は湯島天神の
鳥居の画像。
銅製の鳥居で
脚の下の方には
獅子頭の装飾。
 
 
 
 
藁座には吉祥文の紗綾形の卍崩しの根巻がついている。
イメージ 6イメージ 7
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
鳥居は、寛文7年(1667年)創建。寛文11年(1671年)修理と書いてあった。
左上の写真の奥が湯島天神の社殿で、手前の建物は宝物殿。
社殿は平成7年(1995年)に総檜造りで建てられた。
宝物殿も恐らく同じ頃か、それよりも後だったような記憶がある。
設計などのことを知りたくて、宝物殿にいた巫女さんに尋ねてみたが、
何もわからなかった。
かなり、お金をかけて建てられたようで、真ん中の写真でもわかるように
彩色された蝦股があちこちについているのだが、どれも御伽草子からの引用で
一寸法師や金太郎、鶴、梅の天神様のマークを囲むお稚児さんなどが
描かれており、一つ一つを見るのも楽しい。
 
この宝物殿が建つ前までは、男坂をあがったあたりには煉瓦塀が
むき出しになっており、独特の風情を醸し出していたのだが
囲いができたり、宝物殿でそれ見えなくなってしまいイメージ 3ガス燈のみが
残っているような状態だった。
 
恐らく、この竹の囲いの向こうには
半分崩れかけたような煉瓦塀がまだ残っていると思う。
あの有名な写真家木村伊兵衛さんの写真にもあった
湯島天神の煉瓦塀。
その写真に憧れて、安物のカメラを手に
何枚もしつこくこの場所や女坂の写真を撮ったものだ。
押入れのドライケースには、まだその時の写真が
数枚、いや大量に残っている。
ただ、この宝物殿ができたことくらいで基本的には
あまり景観は変わっていなようにも思う。
 
そして5番の歌詞に従って、上野広小路から上野のお山へと歩くのだが
こちらは次回に記したいと思う。
30 8月

パンダなポスト

上野動物園前にあるポスト。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後ろに回ると、ちゃんとお団子のような丸い尻尾もあった。
横にも黒いラインが描いてあり、顔だけでなく
体もパンダになっていてかわいらしい。
24 8月

生き埋め物件

マンホールの生き埋め物件。
イメージ 1
マンホールが塗りこめられているのがわかる。
そして、白線がひかれ何故か?下の方の曲線も
白くペイントされているような感じだ。
まるで、「じてんしゃ」の車輪とのコラボレーションのようで
美しいトマソンだと思う。
この通りには、いくつもの生き埋め物件となった
マンホールの蓋があるのだが、この物件が
一番秀逸だと思う。
近辺には共同溝の蓋がたくさんあるので、
恐らくこの蓋も、旧建設省の共同溝の蓋では
ないだろうか??
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・・・その167
23 8月

多木浜洋館(アカガネ御殿)

6月の平日、加古川市にある多木洋館の見学会に
サークルのメンバーを誘って行ってきた。
平日の午前中の見学会だったために、加古川近辺で、かつ、
参加できうるメンバーだけしか誘わなかった。
この洋館は過去に何度か外側から見に行っているのだが、
内部は非公開とのことで、どこに問い合わせても内部見学ができなかった。
最近になって、HPに見学会についての記載があるのがわかり、
あわてて見学の申し込みをして念願の内部をこの目で見ることができた。
昨年の冬からの公開のようだ。
写真撮影は自由。 きちんとガイドさんの説明もつく。
ただし、ネット上でのアップロードは不可。
間違った説明のブログやHPが多いからだそうだ。
それゆえ、外から普通に撮影できる場所の写真のみのアップにし、
詳しい建築データは公式HPをお読みいただければと思う。
すでにあちこちのネットで外観の写真はアップされているので
敷地の外から撮影した画像だけをアップロードすることにした。
あとは、公式HPをご参照いただければ内部写真も載っている。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
多木肥料として有名な多木化学の創設者、多木久米次郎氏の迎賓館で大正の初めから昭和の初期にかけて、
一時中断しながらもいろいろな人々の手によって
作られた建物だそうな。
(詳しくはHPをご参照あれ。)
 
銅貼りの正門も素晴らしく美しく、石造りの腕木門風というか、
肘木門風になっているようだ。
多木肥料の鍬のトレードマークもあちこちに見られる。
腕木門だか、肘木門に似ているが、メダリオンやアカンサスの模様も見えるし、
蟇股まである和洋折衷だ。
しかも、屋根は瓦ではなく銅拭きようだ。
建物全体は銅版に覆われているので、アカガネ御殿とも呼ばれる。
銅は、アカガネ。門の銅が赤っぽいのがおわかりになると思う。
これが、緑青に覆われて独特の色合いになると
右の写真のような風合いになる。
建築当初は、赤く輝く洋館だったのだろう。
イメージ 4石造りの門には、煉瓦の塀が続いている。
イメージ 5
 
 
煉瓦はイギリス積み
だろうか??
煉瓦の上にも屋根がつけてあり、
その棟飾りも、モルタルに鍬の多木マーク
が描いてあった。
 
 
 
内部も素晴らしく、調度品や置いてある資料なども貴重なものばかり。
この夏は、改修工事で見学不可だそうな。
見学会では、建築関係の説明というよりは、多木化学創設者の話などが
メインで、土地や多化学の歴史などを説明してくださるのが有り難い。
やはり、説明を伺った方が断然楽しめる。
内部も圧巻としか言いようがない。
細部にいたるまで、これでもかと施された神代鍬のマーク。
本当に素晴らしい建物だ。
 
 
 
 
 
 
 
9 8月

キングアイスの箱

浅草奥山にあった「キングアイス」の箱。
イメージ 1 中に入っているのは、
 1本100円のアイスキャンデー。
 のぞいて見たが、キングアイスは
 入っていなかった。
 きっと、お店の中の冷凍庫に
 あるのだろう。
 昔から人口密集地で様々な
 職業が存在しているからだろうか。
 今でもこのキングアイスは
 販売されており、今ではネットでも 販売しているようだ。
大正13年(1924年)の創業の氷屋さんで、昭和60年(1985年)に
キングアイスの商標登録をしているようだ。
(もっと以前からこの名前を見ていた記憶はあるが・・・)
恐らく、同じように人口密度が高い大阪などにもこのような製氷会社が
複数あるのだろうが、未だにそれらの箱には出会っていない。
 
 
小野田商店   http://www.onoda.co.jp/index.html
 
 
 
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