munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2012年09月

24 9月

東京市電唱歌を歩く~第5番

イメージ 1第5番
いつしか上野広小路
さて公園に見るものは
西郷翁の銅像よ
東照宮のみたまやよ
 
 
上野広小路の交差点。見えているのは、上野松坂屋の建物だ。
この付近にかつて、「三橋」という橋が架かっていたそうな。
広小路を背にして上野公園に行く。
上野公園の袴腰の階段を上り西郷さんの銅像へ。
この袴腰の階段も明治9年(1876年)に作られてるので
市電よいも古いということになる。
 
イメージ 2
西郷さんの銅像の裏には彰義隊の墓と
野松竹劇場御入場口がまだ残っている。
これらに関しては過去記事を参照していただきたい。
 
 
 
 
上野公園袴腰の石柱(2007年)
    ↓
 
 
彰義隊の墓(2007年)
    ↓
 
上野松竹劇場御入場口(2007年)
    ↓
 
現在は、上野山下の「上野百貨店」「上野松竹百貨店」は建物解体の予定に
なっている。(上野松竹劇場御入場口の記事にありし日の建物の写真はある。)
 
すり鉢山古墳の横を通り、東照宮へと歩く。 イメージ 4
まるで、すり鉢を伏せたような形なので
する鉢山古墳だそうな。
この階段を上がりきってもベンチがあるのみ。
実家の災害時避難場所がこのすり鉢山だった。
区で指定されている避難場所は皇居なのだが、
上野公園に逃げる方が近いので、その場合は
はぐれたらこのすり鉢山古墳の上で、
皇居だったら二の丸で落ち合うことになっていた。
 
東照宮は修復工事中のため、絵が描いてある幕が張ってあった。
ここは、石燈篭が美しい。
昔、緒方拳さんの「鬼畜」という映画で緒方さんが子供を連れて
この石燈篭のところで、その子供に毒の入ったパンを
食べさせようとするシーンに確か、この場所が選ばれていたと記憶している。
イメージ 5東照宮は金色堂と牡丹園でも知られている。
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
金色堂の周辺には、以前は結構シマヘビがいたのだがまだいるのだろうか?
以前、「蛇に注意」の立て看板が敷地内にあったが・・・
この石燈篭の向こうに五重塔があるのだが、上野動物園の敷地内にあるので
上部のみ木々の間からみえるだけだ。イメージ 7
冬場なら葉も落ちてよく見えるだろう。
東照宮の公式HPがあるので、詳しい説明はこちらで
     ↓
 
東照宮から少しだけ離れたところに柵で囲まれた
ひときわ大きな石燈篭がある。
「おばけ燈篭」と呼ばれるそれは、
寛永8年(1631年)の東照宮創建当初に奉献され、
昔は寄進した佐久間勝之氏の名をとって
「佐久間の大石燈篭」と呼ばれていたそうだが、
「お化け燈篭」と呼ばれることの方が多いようだ。
手元にある昭和7年(1932年)の文献には
すえに「お化け燈篭」と呼ばれているという記載もある。
これと同様のものを勝之氏は京都の南禅寺と尾張の熱田神宮に寄進しており、
この石燈篭は、京都の白川から石を切り出して作ったそうな。
イメージ 8イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上野動物園の旧正門。
左上は現在。右上は昭和6年(1931年)以前に撮影されたと思われるものだ。
アタシが所有する古書に載っている写真で、著作権は切れている。
これを見比べると、門の左右の建物の屋根と門柱の上の照明が現在はない。
更に場所も移動しており、現在の正門の東側にある。
 
この上野動物園というのは、もともとは東照宮の別当として藤堂高虎が建立した
「寒松院」という寺があったのだが、戊辰戦争で彰義隊の本営となり
その後消失したため、明治15年(1882年)に上野動物園が出来、また、
動物園から東照宮へと行く道が新に作られたとのことだ。
 
実は、ブログでお付き合いのある新掘さん(http://blogs.yahoo.co.jp/pa142)の
昨年の記事にも古写真の絵葉書の記事があり、
そちらの写真の方がはるかに鮮明なので、新掘さんの方の写真を
ご覧いただければと思う。
 
尚、その絵葉書は昭和7年(1931年)の主婦の友」の付録の絵葉書集の1葉で
そちらの説明文には藤堂高虎の屋敷跡が上野動物園となっているようだが、
もともと藤堂家の下屋敷が寛永時建立のために移転し、
その跡地に寒松院ができたので、屋敷跡も寒松院跡もどちらも正しい。
ちなみにこの前付近は日長上人にちなんだ「日長が原」と呼ばれ、
その後不思議な伝説のある大きな杉が二本あったので
「二本杉原」とも呼ばれるようになったが今では、知る人も少ないだろう。
(もちろん、新掘さんはご存知だ。)
 
新掘さんの記事
   ↓
 
 
明治44年(1911年)に新家孝正氏が設計した動物園の旧正門は、
その後、門の横に切符売り場や門番詰所などが増設されている。
 
上野動物園は5番には登場しないのだが、東照宮のことを書くにあたり
切り離せないものがあったために旧正門について書いておいた。
 
 
22 9月

日本の自然を描く展に行ってきた

今年もブログ仲間の虚空菩薩さん(http://blogs.yahoo.co.jp/kokusoubosatuから
「日本の自然を描く展」の案内が届き、「原田の森ギャラリー」に見に行ってきた。
東京の上野の森美術館で開催されたあと、
西日本展が神戸でもこの23日(日)まで開催されている。
この「原田の森 ギャラリー」は村野藤吾氏の設計による素敵な建物でもある。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3
 
  
日本の自然を描く展なのだが、風景画だけでなく、
実際にはかなり自由な絵がたくさん出展されているので純粋に楽しめる。
(自由部門と課題部門があるため)
 
数年前に比べて、出展される方の絵が一段と秀逸になってきている。
賞を受賞した絵はもちろん、非常に「楽しい絵」「美しい絵」「工夫を凝らした絵」
「訴えかえるようなメッセージ性のッ強い絵など数多くあり、
毎年、自分のお気に入りの絵が数枚増えてしまうくらいだ。
できれば、すべての作品がポストカード販売されれば嬉しいのだが、
そうもいかない上に、受賞作品のポストカード販売のみ上野で行われる。
できれば、神戸でも購入できれば嬉しいのだが・・・
 
虚空菩薩さんと奥様のお2人が出展されてらっしゃる。
ブログにアップしたのは、虚空菩薩さんの作品の写真。
奥様とも面識があるのだが、奥様の作品も力強く、
アタシには全く想像つかない色使いとタッチで描かれた作品だった。
 
全体的にアタシ好みの作品が多く、正直、
虚空菩薩さんご夫妻の絵だけ見て帰れば良いくらいのつもりで
出かけたのだが、閉館ギリギリまで何巡もして見てしまった。
 
人様の作品を見てすごいなぁと感心するたびに
アタシも、もう一度描いてみようか?とも思うのだが、
基本のデッサン力が著しく衰えているので描きたくても描けない。
 
やはり、アタシは何かを創造する人間ではなく、
創造された物を見る人間なのだろう。
 
原田の森ギャラリーは建物も良いので、しばらく内部をうろついた。
11月からは、昨年工事中だった西館の部分が、
横尾忠則現代美術館になってオープンするということもわかった。
 
西脇の美術館に行くのも良いのだが、電車の本数が少ないのだ。
神戸なら電車の本数は多いので行きやすい。
 
間違いなく11月オープン当初は混雑するだろうから
時期をずらして行ってみるつもりだ。
 
そう心に誓い、灘駅へと向かう途中に横尾忠則現代美術館の建物の
後ろ側を歩くとそこには、横尾氏の「Y字路」の逆バージョンのような
空間がそこにはあった。(真ん中の写真)
 
 
原田の森ギャラリーの建物の過去記事
      ↓
 
 
トラックバックさせていただいた虚空菩薩さんのブログに
今年の出展作品の写真が載っている。
 
18 9月

旧グッゲンハイム邸

大正元年(1912年)築。
アレクサンダー・ネルソン・ハンセル氏設計と言われているが施工は不明。
1912年に出来て、1915年(大正4年)までは、
グッゲンハイム氏が住んでいたそうで、その後、つい最近までは
竹内油業の社員寮だった建物で、平成19年(2007年)に個人所有となり、
修復工事を経て貸しスペースとして生まれ変わったそうな。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3イメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6イメージ 7カーテンレールのカバーも、
それぞれに
何種類のもの
細かい彫り物が
施されている。
松、山の風景、
牡丹、梅などだ。
 
 
 
 
 
イメージ 8イメージ 92階のサンルームからは、旧後藤邸が見える。
ちなみに旧後藤邸は、明治40年(1907年)頃の築。
設楽建築事務所設計、施工は田中仙吉氏。
 
 
実は、2007年に修復工事が行われるまでは、真っ白な建物だった。
修復工事で、緑にペイントされたようだ。
明治から大正初期の洋館は緑色が多い。
以前、カトリックにおける魔よけの色が緑で、
そのために洋館には緑色のペイントが多いというのを本で読んだ記憶がある。
恐らく、真っ白にペイントされていた建物を修復工事で建築当初の姿に
戻したのだと思う。
 
 
14 9月

1年ぶりの東京活動☆上野~日銀本店 その2

 
神田須田町から今川小路を抜け、日銀へ。 イメージ 1
この近くに架かっていた今川橋のたもとで販売されていたのが「今川焼き」だそうな。
Dさんは関西出身なので、「今川焼き」というよりも
「回転焼き」と言う言い方の方が馴染みがあるかも知れぬ。
だが、東京では「今川焼き」というのだという、
どうでも良いことをDさんに話しながら、日銀の見学時間には
まだ少し早いので中央通りのレストラン東洋で昼食を摂る。
 
日銀本店は、決まった場所しか写真撮影は
許可されていないので、ネット上で見られる定番の写真しか
撮っていない。
日銀本店の場合は、最初にビデオを見させられるのだがこの2年くらいで
見学者視聴用のビデオの内容が大幅に変わったようで、
以前のビデオに比べて、大変わかりやすく、かつ濃い内容のものになっていた。
かんたんな経済のしくみなども、このビデオなら理解できる。
以前のビデオよりも数段、良い内容だった。
 
見学場所は以前と全く同じなのだが、担当者が違うからか??
それともガイド内容を変えたのか?
説明内容も濃厚で詳しくなっていた。
 
イメージ 2
 明治29年(1896年)築
辰野金吾氏設計。
直営施工。
石積煉瓦造、花崗岩張。
 
着工から6年近くかけて
建てられたものだそうな。
 
 
 
 
 
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8馬車を使ってのお金の
運搬などを行っていたので
馬のための水飲み場も
まだ、中庭に残っており
日銀の「目玉マーク」も
横についている。
イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
大阪の日銀よりも、規制が厳しく写真なども撮らせてはもらえないのだが、
以前に比べて、説明の内容も詳しくなっており見ごたえは充分だ。
やはり、詳しい説明を聞かないとただ、古い建物を見るだけになってしまうから。
今回は、歴代総裁の肖像画が掲げられている場所での説明が
前回と違って興味深かった。
誰が総裁に就任していたかではなく、どの時代にどういう地位にいた人、
どういう関連企業にいた人が就任していたのかを振り返ると
この国での力関係がなんとなく見えてくるような気もした。
また、しばらくしてから見学に行けば違った説明を聞くこともできるだろう。
 
尚、日銀の建物は上空から見ると「円」の形になっているのだが、
建築当初の「円」は旧漢字の「圓」なので、後年になって生じた偶然の一致だそうな。
 
日銀本店に関しては詳しくは日銀のHPを参照していただくのが一番だ。
写せなかった写真も載っているし、正しい説明もある。
 
       ↑
(このページの左にある「日銀バーチャルツアー」は画像が結構掲載されている)
 
日銀を出ると、目の前には三菱東京UFJ銀行、すぐ近くには三井本館がある。
過去に日銀総裁を経験された方の出身銀行などだ。
まだ、この三井本館の建物は昔のままだ。
イメージ 10
昭和4年(1929年)築。
トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所設計。
ジェームス・スチュワート社施工。
共にアメリカの会社で、昭和4年と刻んだ礎石がある。
 
何回かこの建物の中の三井住友銀行を利用しているが
天井は確かに高いような気もするのだが、
ATMのスペースなどは現在のものと全く変わらない。
内部の営業場はまだ、昔のままの雰囲気なのだろうか?
気が小さいので、小額取引でわざわざ営業場を
利用する気にはなれないのだが・・・
 
 
そして、また中央通りに戻り三越本店を背にして京橋方面へ。
大正3年(1914年)築、関東大震災の被害での改修が昭和2年(1927年)。
横河工務所設計、施工。
この三越も三井がルーツとなっており、横河氏も三井の出身だ。
イメージ 3
地下鉄銀座線の三越前駅の話や
日本初のエスカレーターなどの
話はあまりにも有名なので
割愛させていただくことにした。
 
建物の細部に至るまで
細かい装飾に彩られたまさしく
正統派の百貨店だ。
 
 
 
イメージ 4イメージ 5
 
普段見えないような
部分にもちゃんと
細工を施してある。
 
 
三越に関しては
これから他の記事も
アップする予定もあるので、正面写真はあえて載せない。
地下鉄の乗り換え通路の過去記事もあるので
参照していただければと思う。
   ↓
 
すぐ近所に高島屋もあるのだが、この時は改修工事中だったので外観は
絵が描かれた幕に覆われていたために写真と撮らなかった。
高島屋の建物も素晴らしい。
 
実家では、何故か父親は高島屋派。
母親とアタシは三越派。
東京のど真ん中だと百貨店くらいしか買い物ができないという諸事情のため
週に何回か三越に買い物に出かけていたのだが、
値段は正直言って、安めだと思う。
決して高くない。(だから三越派なのだが・・・)
 
そして日本橋を渡り、京橋方面へと更に歩くのだが
写真も文字数もかなり多くなってしまったので、続きは次回に・・・・
 
 
 
 
 
 
 
9 9月

猫様 in 浅草 その1

浅草の蛇骨湯に向かう途中で出会った猫様。
しっかりとした目力のある三毛猫様がラバーコーンの横に座っていらした。イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手前には、かなり薄くなって「猫にエサを与えないで」という貼り紙があった。
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