munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2012年11月

23 11月

1年ぶりの東京活動☆上野~日銀本店 その3

三越から日本橋を渡り京橋方面へと歩く。
高速道路の下にある「日本橋」を渡ってすぐに野村証券の建物、
その向こうの東急百貨店のあった場所にコレド日本橋が見える。
イメージ 4イメージ 5野村證券の建物や
日本橋は非常に有名なので
どこのサイトでも素晴らしい
写真が見られると思うので
あえて日本橋室町方面から
日本橋の向こうを見た写真を撮ることにした。
 
 
 
ちょうど、この時は日本三大祭りの一つの日枝神社の山王祭りの翌日だった。
野村証券の前に提灯がたくさん掲げられており、それの撤去作業準備中だった。
江戸三大祭りも、この山王祭りが筆頭となっている。
 
(ちなみに江戸三大祭りは、山王祭り、神田祭り、深川祭りであって、
 浅草の三社祭りはその中には入っていない。
 近年、間違って報道するマスコミがあまりにも多いためにあえて記しておく。)
 
この野村證券の建物は昭和5年(1930年)竣工。
安井武雄氏の設計。大林組が施工。
 
イメージ 6
そして、すぐにコレド日本橋。
平成16年(2004年)竣工。
設計は、日本設計、東急設計コンサルタント、
      コーン・ペダーセン&フォックス(アメリカ)。
施工は清水建設、三井建設、東急建設。
 
以前は、東急百貨店だった場所に新しく建てられたビル。
東急百貨店、その昔、白木屋という名の百貨店だった。
昭和7年(1932年)の起こったこの白木屋デパートの
火災がきっかけで日本女性の下着改革が起きたのは
あまりにも有名な話なのだが、そんなことをD女史に話す。
 
そういえば、かつて東急百貨店時代には入り口の右側に「白木の名水」が
滾々と湧き出ていて小さいながらも、ファウンテンのようなものがあった。
今はもう、水は断たれてしまったようで石碑だけが中に残っているそうだ。
祀ってあった白木観音様は浅草寺の敷地内に祀りなおされた。
 
そして、その反対側の道には明治屋のビル。イメージ 7
昭和8年(1933年)竣工。
設計は曾禰中條建築事務所、施工は竹中工務店。
 
 
昭和7年(1932年)に東京地下鉄道の駅が開業。
三越百貨店が「三越前駅」を作ったのと同様、
費用の一部を明治屋が負担してこの「京橋駅」ができた。
そのため、車内アナウンスでもこの京橋の場合は
京橋・明治屋前というアナウンスがあるのもよく知られている。
 
 
この建物も有名なので素晴らしい建築写真は
他で検索していただければたくさん見ることができるはずだ。
 
ここを過ぎるとすぐに京橋。
今は暗渠となった京橋川にかかる橋の親柱がまだ残っている。
明治時代の親柱もまだ残っているが、今回はわざと大正時代の親柱に注目した。
イメージ 8イメージ 1
 
大正11年(1922年)
に架け替えられた京橋の
親柱がまだ残っている。
 
そしてそのすぐ近くには
銀座1丁目交番(通称京橋交番)がある。
 
交番の屋根の部分と親柱の
上部が極似している。
 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは、昭和59年(1984年)に築地警察の署員からデザイン募集をした際に
提案されたデザインを基に大成建設の桜井凱昌氏が設計をしたものだそうな。
 
そして、このあとこの交番の斜向かいのコージーコーナーで休憩をし
話し込んでいるうちに時間が迫り、今回はこのコージーコーナーの喫茶室にて
解散ということになった。
 
次回は、一昨年アタシが1人で行った防衛省の見学かはたまた皇居の見学か??
いつになるのかわからない。
東京には年に何回も帰省するのだが、滞在日数が少なすぎて
すべてのスケジュールをこなせない。
会いたい人もたくさんいらっしゃるが、すべての人と会っているだけの時間がない。
そのためにD女史にはいつもご迷惑をかけてしまい、
なかなかじっくり東京でのサークル活動ができないでいる。
今度も、またじっくり歩いて見て回りましょうね。
その時は、東京活動のためだけの日を1日作りますから訪問先は乞うご期待!
 
 
21 11月

第63回活動報告 旧羽室家住宅・三国徘徊 その2

昭和34年(1959年)頃、戦後のベビーブームで小学校の教室不足の時期があり、
大和ハウス工業の創業者は神戸市教育委員会に相談を受け、
仮設教室を開発したそうな。 
それをきっかけに短時間で安価に建てることができる勉強部屋を個人の家にもと
更に研究を重ね「3時間で建つ11万円の家」というキャッチフレーズでデパートでも
販売されるようになったそうだ。
当時大人気だったオート三輪「ミゼット」にちなみ「ミゼットハウス」と名づけられた。
今のプレハブ住宅の原点だそうだ。
復元されたものだが「ミゼットハウス」がこの敷地内に建っている。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和36年(1961年)頃羽室家の次にここに住んだお宅のお子さんの
勉強部屋にと建てられたものを大和ハウス工業の全面的協力のもとに
時の材料などを極力使用し復元されたものだそうだ。
軽量鉄骨を使い、屋根と壁に断熱材を入れているので
住み心地に配慮しているそうだが、少なくともアタシが現在住んでいる家よりも
はるかに快適なはずだ。(そのくらい断熱材の効果は大きいのだ。)
当時の11万円、給料の5~6ヶ月分くらいだろうか??
個人的には、旧羽室家住宅よりもむしろこのプレハブ住宅の復元を
見ることができた方のがよかった。
そして、この羽室家を後にして阪急電車に乗り「三国」で街歩きをした。
三国は結構古い雰囲気の残る街だ。
駅周辺はビルばかりなのだが、ちょっと裏手に行くと懐かしいような気分になる。
イメージ 4
屋根の向こうにはビルが見えるが、
この街の空は高い。
今でいうところのテラスドハウス風??に
建ち並んだ平屋建ての家ばかりなのだが
実はこれ、東京にはかなり少ない。
かつての「多摩郡」「豊島郡」と呼ばれた
地域にはあっただろうが、
東京の中心部(旧江戸地区)にはない。
武蔵野方面がどのあたりなのか??
調べればすぐにわかることなのだが、昔の東京と今の東京は大幅に違う。
イメージ 5イメージ 6スクラッチタイルが
モルタルに埋め込まれたかつての門らしき部分?
かなり磨耗はしているが
戦前の大阪市の下水の蓋がまだ残っている。
このタイプの蓋は
昔昔の下水の蓋で、
今でも大阪の谷町周辺などの古い街にまだいくつか
残されているが、早くからここの下水処理が施されていた
というのが、この蓋からも伺える。
イメージ 7イメージ 8三国温泉(銭湯)やかつて
街中でよく見かけた、
「でんわ  でんぽう」の
看板などを見て懐かしいね
などと話しながらしばらく
探検気分で散策をした。
 
1人のメンバーが、「この地区だけ別世界。
間違いなく数年後にはビルに飲まれて
再開発でなくなりそうな気がする・・・」と言っていた。
アタシもなんだかそんな気がする。
 
7 11月

猫様 in 浅草 その2

イメージ 1三社祭りの翌日、
ブロ友さんとの待ち合わせ場所に
向かう途中で視線を感じた。
 
見上げると、首輪をつけた
かわいらしい猫様がじっと
こちらを見ていらした。
 
ズームで撮ったのだが、
すぐに奥の方へと
逃げて行ってしまわれた。
 イメージ 2イメージ 3
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