munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2013年01月

30 1月

呼び出しカン物件

大正8年(1919年)頃に出来た、万世橋高架に残っていた。イメージ 1
この煉瓦は積んだものではなく、
煉瓦張りなので恐らく、後年になって
つけられたのだと勝手に推測。
 
よく地方の古い商家などに残る「駒つなぎ」を
連想させるのだが、この付近は明治にはすでに
市電が走っていた時代でもあるから、
駒つなぎではないだろう。
イメージ 2 と、思い念のために手持ちの文献を
読み返していたら、大正4年(1915年)、
当時の東京市長である阪谷男爵が、
自身の馬車で外出などと言う記載もある。
公用では、自動車だったそうだが、
自分の馬車も所有していたとあるので、
馬車も東京では、普通に走っていたようだ。
だが、これは馬車の駒つなぎではないだろう。
 
下の写真の手前下方に何やら、横に長い痕跡も見えるのでそれと一緒に
物を固定するためにつけられたものではないだろうか??
妙に煉瓦がいろ鮮やかなのだが、古い年代の煉瓦なのでここだけ張替えたか、
それか古い煉瓦の修復をする場合、スチーム洗浄などを行うとこのような色に
なる場合が多いので、そのせいかも知れない。
大阪の中ノ島公会堂なども、スチーム洗浄で建築当初の煉瓦が
あのような鮮やかな煉瓦に蘇った好例がある。
子供の頃から、この前を数え切れないほど通っているが、
これに気がついたのはつい最近のことだった。
いかに、自分の観察力が鈍いのか??愕然としてしまった。
トマソンで言うところの「でべそ物件」に当るのだが、
アタシは勝手に「呼び出しカン物件」と名づけてしまった。
「呼び出しカン」というのは、引き手のようなもので、
「戸袋」の過去記事に画像が載っているので、参照していただければと思う。
この「呼び出しカン」を引っ張っても、煉瓦の塀は扉ではないので開かないが・・・・
 
 
呼び出しカンの戸袋の記事
    ↓
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・・・・・その169
26 1月

猫様 in 某所

イメージ 1浅草近くの某所・・・
お祭りを抜け出して
ブロ友さんたちを案内した街。
路地の奥にまだいくつか残る
写真撮影が非常に上手な方々なので、建物を撮影して記録して
いただければと思い、案内すると
熱い視線を感じた。
よく見ると扉の隙間から猫様!
 
イメージ 2
イメージ 3
 
なんとなく、家政婦は見た!状態。
 
 
建物をじっくり観察し、撮影していたつもりが実は隙間から猫様に観察されていた。
この建物は、実はブログを始めた頃にこのブログえも一度アップしたことがある。
が、比較的有名な建物でもあるのでわざと玄関部分だけの写真のアップにして
表札のところもわからないようにしてある。
この建物の全景は数年前の過去記事にあるが、当時、この猫様の視線を
感じたことはなかった。
 
 
25 1月

富士山の手すり子

浅草のはずれにあったお宅に残っていた手すり子。
富士山をかたどっている。イメージ 1イメージ 2
 
イメージ 3
 
突き当たりの建物とくっついているようだが、
今は誰も住んでいないような感じだ。
錆びた宝珠のような棟飾りがかわいらしい。
夕方遅くに撮影したためにかなり画像が暗く、
無理に加工で明るくしたのでノイズが
ひどいかもしれないが・・
 
この近辺は戸袋にしても富士山の形のものが多い。
 
 
20 1月

第65回 活動報告 本龍野 その1

青春18切符を使って名古屋に続き、兵庫県西播磨の本龍野でも活動を行った。
JRの駅には、「竜野駅」と「本竜野駅」があるが、
小京都と呼ばれるこの町は「本竜野駅」のほうだ。
駅からコミュニテイバスで鶏籠山の上まで行き、そこにある国民宿舎でランチ。
それから、歩いて旧城下町地区に行く。
普通の公園のような小さな動物園で鹿を見たりしながら、「聚遠亭」へと向かう。
安政年間に龍野藩主の脇坂安宅氏が孝明天皇から賜り、
上屋敷内に書院風を入れた数奇屋風の茶室で、「しゅうえんてい」と読む。
イメージ 1イメージ 5
 
左が聚遠亭
 
 
右は楽庵
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
右上の楽庵は昭和58年(1983年)にヒガシマル醤油が寄贈した茶室。
この聚遠亭についた時に雷雨に見舞われてしまい、しばし、楽庵にて休憩。
ここで1時間以上、足留めをくらったがようやく小雨になってきたので横にある
御涼所と呼ばれる別館の内部を見学。
(写真左)
床下の抜け穴などもガラス張りになっており、上から見ることができる。
雨もやみ、旧龍野城の隅櫓の横を通り旧城下町へ出る。
隅櫓から続く塀の内側には龍野小学校のプールがある。
イメージ 7イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
景観保護のためなのか??山門には「水練場」と書かれた看板が掲げられていた。
この向かいには、家老屋敷の家老門が現存している。
龍野小学校の正門もかなり古い門で、こちらにも回りたかったのだが、
雨宿りにかなり時間を費やしてしまったのでそちらは省くことにしたが、
こちらも、明治7年(1874年)に開校した当時に作られた正門らしい。
鉄の門扉と丸い電灯などは昭和51年(1976年)に復元されたものだが、
門柱自体は明治期のもののようだ。
小学校の歴史の文献を紐解いても正門に関する記載も特になく、
地元周辺の古老の方々の貴重なお話から、同小学校のK教諭と2人で
推測した結果に過ぎないのだが、恐らく間違ってはいないだろう。
わざわざ、アタシの馬鹿げた疑問に対して真面目に対応してくださり、
一緒に調べてくださったK教諭に感謝の気持ちでいっぱいだ。
龍野小学校のHPにこの正門の写真が出ているのでご覧いただければと思う。
      ↓
 
小学校の水練場の向かいには、家老屋敷の家老門が残っている。
その前を通り、武家屋敷資料館に入り内部を見学。
こちらも近年までは普通に住宅として使用されていたそうな。
見事な一枚板の欄間の透かし掘りが美しい。イメージ 9(右下)
時間がなくなってきたので、あわてて
「うすくち醤油資料館本館」へと急ぐ。(左下)
イメージ 2   
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和7年(1932年)築、設計は不明。
施工は水谷幾蔵氏が請け負った木造2階建て。
当初、菊一醤油の建物だったが、合併のために
ヒガシマル醤油の本社として使用されており、
昭和54年(1979年)に内部を改造して
資料館になった。
菊一醤油時代の名残りで2階への階段には
菊の花の模様が施されている。
このうすくち醤油資料館は過去記事でもアップしたことがあるので、
階段の写真などは、そちらをご参照いただければと思う。
 
うすくち醤油資料館過去記事
   ↓
 
 
資料館の入館券で本館と別館の両方が見学できるが、別館は土日のみの開館だ。
イメージ 3イメージ 4
 
左の写真の別館の方は、
大正13年(1924年)築の
木造2階建で、設計、施工
ともに仔細不明となっている。
こちらの内部の写真なども
過去記事をご覧いただけると
おわかりいただけると思う。
上部のレリーフも美しい。
 
 
 
 
見学後、古い街並みに残る明治時代に建てられた本屋さんの前を通り
ここはものすごく古い建物なのだという話をしていたところ、
御店主様のご好意により、内部を見学、撮影させていただくことになったのだが、
写真も増えて話も長くなってしまったので、次回にまわしたい。
 
 
 
 
 
 
 
18 1月

パチローの絵を描いていただいた

ブログ仲間の虚空菩薩さん(http://blogs.yahoo.co.jp/kokusoubosatu)が
パチローの絵を描いてくださった。
その絵が讃岐うどんとアタシがブログにアップしたパチローの写真を
ポストカードにプリントしてくださったものと共に自宅に届いた。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
虚空さんには、以前も招き猫の絵を
プレゼントしていただいている。
濃いグレーのパチローの毛色を
こんな素敵な色に仕上げてくださった。
しかも、アタシの大好きなピンクのフレームに
入れて送ってくださった。
 
虚空さんの色使いとタッチはアタシには絶対に真似できない。
ぜひ、虚空さんのブログで他の絵の写真をご覧になっていただければと思う。
アタシの写真の撮り方が悪いので実際の絵の色とこの写真の色が少し
違うのだが、この実物のすばらしいこと。
下から見あげるパチローの表情などそっくりだ。
毎年、虚空さんの絵を美術館で拝見させていただいているが、
本当に見ていて「楽しくなる絵」の描き手さんでいらしゃる。
虚空菩薩さん、ありがとうございました。 
 
 
前、いただいた招き猫の絵の過去記事も見ていただければと思う
         ↓
 
 
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