大正8年(1919年)頃に出来た、万世橋高架に残っていた。
この煉瓦は積んだものではなく、
煉瓦張りなので恐らく、後年になって
つけられたのだと勝手に推測。
よく地方の古い商家などに残る「駒つなぎ」を
連想させるのだが、この付近は明治にはすでに
市電が走っていた時代でもあるから、
駒つなぎではないだろう。
と、思い念のために手持ちの文献を
読み返していたら、大正4年(1915年)、
当時の東京市長である阪谷男爵が、
自身の馬車で外出などと言う記載もある。
公用では、自動車だったそうだが、
自分の馬車も所有していたとあるので、
馬車も東京では、普通に走っていたようだ。
だが、これは馬車の駒つなぎではないだろう。
下の写真の手前下方に何やら、横に長い痕跡も見えるのでそれと一緒に
物を固定するためにつけられたものではないだろうか??
妙に煉瓦がいろ鮮やかなのだが、古い年代の煉瓦なのでここだけ張替えたか、
それか古い煉瓦の修復をする場合、スチーム洗浄などを行うとこのような色に
なる場合が多いので、そのせいかも知れない。
大阪の中ノ島公会堂なども、スチーム洗浄で建築当初の煉瓦が
あのような鮮やかな煉瓦に蘇った好例がある。
子供の頃から、この前を数え切れないほど通っているが、
これに気がついたのはつい最近のことだった。
いかに、自分の観察力が鈍いのか??愕然としてしまった。
トマソンで言うところの「でべそ物件」に当るのだが、
アタシは勝手に「呼び出しカン物件」と名づけてしまった。
「呼び出しカン」というのは、引き手のようなもので、
「戸袋」の過去記事に画像が載っているので、参照していただければと思う。
この「呼び出しカン」を引っ張っても、煉瓦の塀は扉ではないので開かないが・・・・
呼び出しカンの戸袋の記事
↓
むにゅの路上観察・・・・・・・・その169