munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2013年02月

23 2月

第65回 活動報告 本龍野 その3

夕立の雨宿りで時間を費やしてしまったので、伏見屋書店さんを出てから
早歩きで見学予定場所を大幅にカットして駅に向かう道すがら看板建築や
古い建物を横目に見ながら駅へと移動することにした。
イメージ 1虫籠窓のある壁に細かいタイルを貼った
タイル屋さん。
アタシがここを知ったのは8年前だが
その頃から廃業されてらっしゃるようだった。
もっと以前から閉店されていらっしゃるようだ。
「衛生陶器」という文字も屋号もタイルで
書かれてあるのだが、陶器の器の字が
旧字体になっているので、間違いなく
戦前、もしくは戦後すぐ、少なくとも
昭和25年(1950年)以前に書かれたタイル文字だろう。
イメージ 7イメージ 8
昭和21年(1946年)に国語審議会なるものが考え出した当用漢字に押され
この器の大という字が犬になっている
旧字体には、もうお目にはかかれない。
 
帰りの電車の時間も迫っているために駅へ向かう途中にある
古い建物だけを写真に収めながらの移動。
細かいことは、アタシが渡した資料には書いてあるが
説明などしている時間がない。
イメージ 2左の建物は昔、病院だった建物で設計も施工も
不明なのだが、当初から医院として建てられ、
赤坂離宮の様式を真似たものだったそうだが、
戦争中の金属供給で鉄柵をはずしてしまい
コンクリート塀になったとのこと。
そして、すぐ近くに同じく設計も施工も不明の
看板建築の建物を見て橋を渡り駅へ。
 
イメージ 3イメージ 4
ライオンマークの
1階はカットサロン。
まだ現役の建物だ。
そうこうするうちに
真っ黒な雨雲が・・・・
 
 
 
真っ黒な雨雲の下のはヒガシマル醤油工場。
イメージ 5
電車の時間だけでなく、急ぐ理由はこの雨にもあった。
橋を渡りきるとすぐにあるのが、ガレリア。(右下写真)
実はここ最後にお茶と思っていたのだが、
(臨時休業だったので旧市街地の喫茶店で
最後のお茶休憩をしてしまった。イメージ 6
 
 
古い民家を再生活用した喫茶店で中は
アートスペースやコンサートにも使われている。
昭和初期の木造家屋で設計・施工は不明。
一時期、信用金庫だったため、当時の金庫も
店内に置いてあり、確か店内禁煙の記憶がある。
   
 
この時のサークル参加者のうちの1人をここに連れてきたことや、
親しくさせていただいている、超有名路上観察のサイトを運営する
「お散歩photo album」http://www.rose.ne.jp/~perceus/index.htmlの安部さんとも
お茶を飲みに来たこともあるが、ここに来たら2階にも行かれることをお勧めする。
 
ちなみにアタシの路上観察など足元にも及ばないのが安部さん。
ネット検索だけに頼らない真の調査を安部さんはなさるので、
安部さんのHPは怖ろしく資料性も高い。
(もっとも、ネット検索は調査とは言えないのだが・・)
お互い情報交換や画像提供もしているのだが、アタシが提供することの方が
圧倒的に少ないのが現実だ。
そして、このガレリアを過ぎて駅まであとちょっとというところで、
とんでもない雷雨と豪雨に再び襲われ全員がずぶ濡れになって駅に着いた。
アタシは自宅から車で迎えに来てもらったのだが、
豪雨のために車が駅に着いたのは2時間以上経ってからだった。
(電車を乗り継いで帰った方が早かった・・・)
 
19 2月

旧帝国汽船(株)の煉瓦倉庫

 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うちの旦那が昨年まで仕事をしていた職場の敷地内にかなり古い建物が
たくさんあるという話は旦那から聞いていた。
昔はもっとたくさんあったそうなのだが、出張で来るたびにその数は減っていき、
残っている建物はわずかと聞かされていた。
今年から違う場所での仕事になるので昨年末にカメラを渡し
写真を撮ってきてもらった。
会社内には携帯電話などでの撮影禁止の場所もあるそうなのだが、
この建物に関してはすでに使われておらず、解体も時間の問題らしく、
撮影には問題ないそうなので、できるだけ建物の細部の撮影を頼んでいた。
うちの旦那曰く、すごく古いから戦前のものだとのこと。
うちにある建築関係の本を漁っても何も書いていない。
会社の敷地内の建物だから、近代建築調査からも漏れているはずだから?
会社の人にも聞いてもらったが、わからないとのこと。
建物にあるマークが、ただの幾何学模様なのか??意味のある文様なのか??
社章なのか??わからなかった。
ちょうど旦那が通っていた歯医者さんの待合室にこの土地や会社に関する
古い写真や資料が載っている本が置いてあったとうので、
虫歯でもないのに歯科検診に行き、その本の題名などをメモして
図書館に走ったところ、そのマークが旧帝国汽船の社章ということが判明した。
イメージ 1
 
戦前に消滅した会社だが、大正7年(1918年)
5月末から大正10年(1921年)2月まで、
この会社は帝国汽船の造船工場だったそうな。
と、いうことはこの社章があるということは
大正7年から大正9年までに建てられたのだろう。
もう使われていない建物だが、実に95年ほど前の
煉瓦建築の建物だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
14 2月

東京市電唱歌を歩く~第8番

第8番              イメージ 1
はや目の前に十二階
雷門よりおりたてば
ここ浅草の観世音
詣ずる人は肩を擦る
 
 
 
十二階とは言わずと知れた「凌雲閣」のこと。
明治23年(1890年)に建てられた十二階建ての観光タワー。
大正12年(1923年)に関東大震災で半壊し、同年に取り壊された。
元祖スカイツリーとでも言えば、わかりやすいだろうか?
否、当時の「十二階」の方が今のスカイツリーよりも、その存在や意味合いは
はるかに大きかったであろう。
もう20年以上前だったか??浅草の建築現場で地面の下から煉瓦がたくさん
発見され、解体された十二階の煉瓦の残骸ではないかといわれたことがあった。
その後、調査などがされたかどうか?またしても、アタシの記憶にない・・(汗)
雷門から実際に十二階があった場所までは、少し離れている。
俗に言う「浅草六区」の方に十二階はあった。
現在の「ひさご通り」の脇、浅草の場外馬券場のすぐそばにあった。
今は、パチンコ屋さんになっているが、その前には記念碑と説明文が貼ってあった。
イメージ 2
記念碑は正直、文字もかなり小さく
色も薄くぼやけた感じで気がつきにくい。
昨年秋、この場所ではないがすぐ近くに
この「凌雲閣」を再建する計画が持ち上がったそうだが、はてさて、どうなるのやら・・・
当時は約52メートルだったそうなので、雷門あたりからでも、いや、もっと遠くからでも
よく見えただろう。
 
イメージ 3イメージ 4
十二階、アタシも名前しか知らないが、
コレを模した仁丹塔と
呼ばれた広告塔の
ことは未だに記憶に
残っている。
 
浅草で遊ぶだけ遊び
回っていた頃に
撤去された広告塔だけい新しい十二階の話を
聞いてもなんだか
ピンと来ない。
 
 
 
そして、9番の歌詞に沿って再び歩くことにした。
 
12 2月

かわがってネ

イメージ 2イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浅草の路地に3匹の子犬がいた。
エレベーターの前・・・・と、思ったら絵だった。
エレベータ-の絵は実はドアだった。
だまし絵のような扉だった。
 
10 2月

犬様 in 浅草 その1

イメージ 1イメージ 2昨年出会った犬様だが、
確かお名前はあずさちゃんだったか?さつきちゃんだったか・・・・
かなり、ふくよかな犬様で
お散歩の途中だった。
ものすごく、おとなしい女のコの犬様。
 
ダイエット中だったような話を飼い主さんがされていらした。
この時は、ちょうど三社祭りの時でもあったので、
お祭り用の鯉口シャツを着用した犬様にも出会った。 
鯉口シャツの犬様は、恐らく地元の犬様ではなくお祭りに参加しに来た方が
連れてこられた犬様であろう。 イメージ 3イメージ 4
そばにおられた飼い主さんの着ていらっしゃる
祭りの衣装から見ても、地元の方でないことは明らかなので、この犬様も
お祭り見物にいらした
のだろう。
ご主人様の着られなくなった鯉口シャツのお下がりかとも思ったが、
それにしてはサイズが小さすぎるので子供用のものを
犬様専用に着せてらっしゃるのだろう。
実は、これと同じ柄の鯉口シャツをアタシも1枚持っている。
だが、横にばかり大きく成長したために行李の中にしまってある。
あと10キロくらい痩せればまた着られるかしらん・・・
 
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