munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2013年04月

30 4月

生き埋め物件

イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
戦前の防火用水の用水槽が土台の一部になっていた。
「宮本町会 第二十一組 な組 用水」と書いてある。
元々、この場所にあったのか??それとも近所にあったものを持ってきたのか?
それは定かではないが、ここは確かに某神社の宮本町だ。
現在の町名は変わってしまっているが、まだ祭礼の時などはこの旧町名で
お神輿の渡御などが行われる。
21の組、「いろは」の「な」の組となるとかなりの住民の数と用水槽の数だ。
昔の隣組のあったころのものだろうか??
 
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・・・その171
12 4月

猫様 in 東大A地区

東京大学の敷地内にA地区という場所がある。
東大の職員の方々の古い宿舎が残る地区で、
関係者以外は立ち入り禁止地区だったのかもしれないが
徘徊癖のあるアタシは、昔からここを通り抜けに利用していた。
少し前までは鬱蒼としており、夜などはかなり暗かったのだが、
現在では新しい建物も建ち、戦前に建てられた古い木造家屋の数
減ったようにも思えるが、まだそんなに昔と変わってはいない。
新しい建物が建った分だけ、夜間は少し明るくなったとは思う。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
 
そのA地区を通り抜けるときに塀の上に白っぽい猫様が座っていらした。
何故か??鉄条網を縄でくくってあって、ちょうどその猫様が座る場所に
それこそ、猫の額ほどのスペースが作ってあるようだった。
坊ちゃん刈りのようなヘアースタイルの猫様だった。
10 4月

東京市電唱歌を歩く~第10番

第10番              イメージ 1
 
さて浅草より上野へと
環る電車の道すがら
甍の空にそびゆるは
名高き東本願寺
 
 
浅草から上野方面へと再び戻るのだが、
この付近をよく知る者ならすぐにわかる、『八つ目鰻屋』と『蛸松月』の交差点の
横断歩道の真ん中に残っているのは、都電の停留所の名残りではないだろうか?
 
昭和47年(1972年)に消えてしまった、あの都電の停留所。(都電荒川線を除く)
蛍光カラーのポールの部分に停留所名の書かれた表示板が立っていた。
台座部分のコンクリートには、黄色と黒で彩色されていた。
国際通りにはまだこの「名残り」らしきものが残されている。
アタシの記憶違いかもしれないが、都電の停留所の跡だと思うのだが・・・
イメージ 3
 
田原町の交差点のあたりにある東本願寺。
こちらに関してはHPがあるので
そちらをご覧いただければと思う。
あえて、薀蓄は避けたい。
 
 
浅草門跡の町ということもあり、田原町から稲荷町にかけて仏壇、仏具店が多い。
イメージ 4
プチ帝冠様式とでもいうのだろうか?
昭和4年(1929年)築、RC3階建の難波仏具店。
榎本徳蔵氏設計、戸田組の施工。
お寺の「九輪」を模っており、老朽化のためネットが
かかっているが、ネットがかけられてから久しい。
 
この通り沿いには他にもたくさん仏具店が現在でも
営業している。
 
 
 
アタシの住んでいた町だけの風習なのかもしれないが、
仏壇を購入する時に、近所の方についてきていただいてその方に値切ってもらう。
何故か、仏具などにお金をかけるものではないのだが、自ら値切るのは駄目で
他人様が値切る分には良いのだそうな。
1円でも良いらしい。
値切って、下がった分の額は付いて来てくださったご近所の方のお駄賃になったり
仏具屋さんへの手間賃として置いて帰る。
仏壇などはそうそう何回も購入するものではないのだが、
不思議な習慣だと子ども心にも思っていたのだが、もう、
そのような習慣も住民も残っていないだろう・・・
お互いにご近所同士で、仏壇を購入する時はそのようにしていた記憶がある。
 
イメージ 5イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道沿いの街灯にも工夫が施されていた。
浅草寄りには、「吉原繋ぎ」。
吉原の引き手茶屋の暖簾にこの模様が多く用いられたことからついた名前。
なんとも、粋な名前だ。      
右端の写真は、「流水」。
ちょうど、この付近にはその昔、「新掘川」が流れていたが
関東大震災後に暗渠となった。     
その新堀川のイメージなのだろうか??イメージ 2
上野に近づくと今度は、「青海波」の変形パターンの
ようなものがモチーフになっている。
 
この街灯はそんなに昔にできたものではないので
近年になってある程度、場所柄を意識して
作られたものなのだろう。
 
道具街でよく知られる「合羽橋」や警視庁菊屋橋分室の名で知られた「菊屋橋」の
名前に見ても、「橋」がつけられていることから、かつて、
川があったことが伺えるだろう。
菊屋橋分室は女性専用の留置場で有名だった場所で今は名称は変わっている。
あの阿部定女史もここに留置されていた。
 
そして、上野駅にまた戻り第11番の歌詞に沿って歩くことにした・・・・
6 4月

第67回活動報告 竹田城 その1

他の方々への訪問、コメントを最優先にしているので、
どうしても自分のブログ更新が疎かにならざるを得なくて、
かなり昔の活動報告になってしまうので、またもや古い報告になてしまうのだが
泊りがけのサークル活動で天空の城と呼ばれる竹田城に行った。
姫路で集合し、レンタカーで和田山まで行くのだがちょうどこの時は
「B-1グランプリ」が姫路で開催されていたので、
お昼ご飯はB-1グランプリ会場で食べてから出発することにした。
B級グルメが苦手で屋台の食べ物を立ち食いする習慣のないメンバーもおり、
そのメンバーとは時間をずらして合流することにして姫路城近辺へ向かった。
他のメンバーは友人とBー1グランプリに行くので、
夜、和田山のホテルで合流ということで、途中参加者を2名残し、
人ごみをかきわけて会場へ。
 
イメージ 1イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
改修工事中の姫路城のすぐ下では、ものすごい人の数が集まり
いろいろなB級グルメのお店があり、各店舗の呼び込みも着ぐるみを着たりで
大変な活気なのだが、食べ物にありつくまでに行列に並ばないといけない。
肝心な時にまとまれば問題ないので、会場ではメンバーはみなバラバラに行動。
それぞれが好きな物を食べ、好きな場所に並び、遊ぶ。
相変わらず、アタシは自分が食べる物の写真を撮る習慣がないので
何を食べたかとか、おいしかった記憶ははっきりあるのだが、写真はない。
午前中に会場入りして、昼前には姫路駅に向う。       イメージ 4
途中、仮面ライダーや綾波レイに遭遇! 
食べ物の写真は撮らないが綾波レイは撮影させていただく。
 
サークルのメンバーにも1人、ファンなのか?
美容院で「綾波レイの髪型にしてください」と注文し、
髪の色以外は、綾波レイのようなカットにしている人がいる。
 
アタシの記憶する限りでは、もう4年くらいはその髪型だ。
当然、そのメンバーも撮影していた。
 
姫路駅で1人のメンバーと合流し、レンタカーで和田山に向かう。
ホテルにチェックインした後、翌日の撮影スポットの下見に行く。
 
竹田城の見える向いの山の上まで車で向かったのは、もう夕方近く。
 
イメージ 5矢印が竹田城なのだが、明け方になると雲海に
包まれてまるで、天空の城のように見えるという。
 
周辺の山に前日の夕方や夜中から登り、
雲海に包まれた城跡を撮影する人々が集結。
アタシたちが訪れた場所も、すでに車中泊と
思われる方がすでに来ていらっしゃった。
 
 
あらかじめ、翌朝はここからならきれいに見えるだろうと思われる場所を決め
ひとまず夕食をとるために下山。
何故か?山の地区で回転寿司で夕食。だが、一皿いくらなので会計は簡単で良い。
1人で17皿食べたメンバーもいた!
ホテルに戻るとB-1グランプリで1日他の友人と過ごしていたメンバーと合流。
その晩は、ホテルのアタシの部屋でビールやチューハイを持ち込み宴会。
お酒を飲まないメンバーもいるので、その人は1人、近くのスーパー銭湯へ。
翌朝が早いので皆、早々に引き上げ、1人残った酒好きのタフな男性メンバーと
更にチューハイやビールなどを飲むが、アタシは飲みだすと長い・・・
結局、最後のメンバーが部屋に引き上げたあともホテルの廊下で缶ビールを買い
かなり遅くまで1人でダラダラと飲んでいた。
翌朝は暗いうちにホテルを出て、朝食もとらずに前日に目をつけていた場所へ。
だが、甘かった・・・
夜明け前にも関わらず、ものすごい車の数で仕方なく山の中腹に車を停め
歩いて山の上まで歩く。
前日にチェックしていた撮影ポイントはすでにカメラを携えた方々で埋め尽くされ、
仕方なく、なんとか見られそうな場所へ移動。
山で一夜明かした方のお話では、近隣の山を夜中に登山する人々の
手にする懐中電灯の灯りがたくさん見えたとのことだった。
アタシは夜の登山は怖ろしくてとてもできない。
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やがて夜が明け、陽が登ると山々の夜露が水蒸気となり雲海になるのだが、
この日は曇りがちだったためか?雲海は見られず・・・・
7時過ぎくらいから、山にいた人々が下山しはじめたのだが、
アタシたちはまだもっと陽が高くなれば、もしかしたらと思い8時頃まで粘った。
雲海までは行かず、雲らしきものが現れたがすぐに風で流されてしまった。
もっとも、コンデジで向かいの山からの雲海の竹田城を撮るということ自体、
かなり無理もあったのだが、この目で見ることが重要だった。
これ以上待っても、陽が上りきってしまったら雲海ももう出ないので
ひとまず下山し、朝食をとってから竹田城に登ることにした。
雲海に包まれる竹田城の写真はネットで探せばいくらでもあるはずなので
検索して見ていただければと思う。
続きは次回に・・・・
2 4月

木目調の戸袋

都内にあった木目調の模様のある戸袋。
イメージ 1イメージ 2後年になって
外壁塗装をしたのか?
 
なんとなくそんな感じだ。
 
クリーム色なので
模様は薄く見える。
 
かなり以前に、やはり木目調の戸袋をアップしているが
その戸袋とは正反対のタイプの戸袋だ。
 
見比べてみるとよくわかるので、
過去記事をご覧いただければと思う。
 
 
木目の戸袋の過去記事
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