第12番
須田町 鍛冶町 うち通り
今川橋よ 本石町
室町すぎて 日本橋
さても 都の大通り
御成り街道をそのまま進み、
万世橋を渡るとすぐに「須田町」。
そしてその先にはJR神田駅がある。
駅を過ぎてすぐに写真右上の「鍛冶町」の丸石ビルがある。
昭和6年(1931年)竣工、山下寿郎建築事務所設計、竹中工務店施工。
非常に大きな建物であの丸石自転車の本社だった建物だ。
細部のパーツも非常に美しく見ていて飽きない建物なので、
ネットで検索するとたくさん素晴らしい写真がアップされているので
そちらをご覧いただければと思う。
前回の第11番の記事で
「大正6年(1914年)から太平洋戦争くらいまでは、
御成り街道沿いの外神田地区には自転車問屋が集中していた。」と書いた。
その外神田地区から近い場所にこの建物はある。
しかも同じ御成り街道沿いにあったのが、
後年になって手前にビルの別館が建ってしまい通りから少し中に入るような
感じになってしまっている。
確か以前は、縦書きの「丸石自転車」という木製看板が掲げられていた。
比較的近年だったような記憶がある。
「今川橋」はすでに川が
暗渠となっているのでもうないが、
左の写真のような碑を建てて
その前に水を張り鯉を放してくださっている
ビルがあった。
「今川橋のあとどころ」と彫られている。
以前、サークルの東京編でも書いたのだがお菓子の今川焼きは
この「今川橋」のたもとで売られていたことにその由来する。
西日本に行くと今川焼きではなく、回転焼きとか大判焼きと呼ぶが・・・
中央通りの向い側には
山梨中央銀行東京支店。
昭和4年(1929年)の建物で現役だ。
この裏手に本石町がある。
本石町といえば、日銀本店。
日銀の近くに銀行が来るのは当然だ。
日銀本店は過去記事を参照していただければと思う。
↓
ここに記した建物で日銀以外は2つとも、市電唱歌のあとに建てられている。
そして、「室町すぎて 日本橋」へ。
右の写真の手前に見える「車止め」。
昔の東京の車止めポ-ルは
ほとんどこのデザインだったような気がする。
そして、もう都内でも見るとこはほとんどないが
灰皿とゴミ箱が交差点にはあった。
このポールとゴミ箱と灰皿は3点セットだった。
ゴミ箱は緑色のプラスック。
数年前にその懐かしいゴミ箱を見つけて
アップしたことがあった。
その緑のプラスチックは割れてしまったのか??
ゴミを入れる箱は大きめの空き缶を利用していたが
外側の枠は昔のままだった。
数年前にそのゴミ箱をアップしているので、過去記事をご覧いただければ
あぁ、懐かしい!と思う方もいらっしゃるのではないだろうか??
↓
そして都の大通りを次に13番に沿って歩いた。