munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2013年12月

26 12月

さらばぢゃ!う~ちゃん!

3年前の2010年12月16日に日付が変ってすぐの午前1時頃だったか?
我が家の玄関先に1匹の猫がやって来て扉を開けろ!開けろ!と鳴き叫び、
半ば強引にうちの敷地内に入り、そのまま『入り猫』としてうちの猫になった。
生後7ヶ月くらいのその猫は「うどん」と命名された。
「うにゃうにゃ」とか「うぅぅ~~~」と鼻にかかった声で鳴くので
「う~ちゃん」とか「う~」などと呼ぶことが多かった。
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上の写真2枚はうちに来た翌日に撮影した写真だ。
 
家に入るなり歩き回ったかと思うと、猫用トイレを見つけるなりそこで用を足し、
また一回りして猫用ベッドを見つけるとそこで丸くなって眠るというすごい猫だった。
 
すでに先住猫の虎王の横に強引に座り込んで一緒に寝ている。
先住猫は3匹おり黒猫ギョロちゃん以外は威嚇しまくったが、
この「うどん」は非常に賢く逆らわなければそのうち受け入れてもらえると
理解していたようで一切反抗せずにおとなしく、且、じわじわと仲間入りを果たした。
 
翌年の12月にはめでたく「うちのコ1周年記念」を迎え、
欲しがりもしないのに猫用おもちゃやら毛布やらをたくさん買い与えられ、
しかも、買ってもらったおもちゃや用品はすべて使ってくれるという良いコだった。
他の猫たちのように「せっかく買ったのに・・・」ということは全くなかった。
目の前に人間の食べ物を置いても食べたりしない。
呼べはすぐに「うにゃうにゃ」言いながら飛んでくる。
まるで犬のような猫で、肩の上に乗ったりおぶさったりするのが大好きだった。
食事中でも旦那は肩の上から「う~」を無理に下ろそうとはしなかった。
下の2枚はやってきて1年後に撮影したものだ。
 
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ちょうど2011年の秋くらいから、黒猫ギョロちゃんに噛み付いたりするようになり
ギョロちゃんとは隔離されるような形で1階と2階で別々に生活することになった。
完全に隔離ではなく、昼間は「う~」が2階の寝室で生活し、ギョロちゃんは1階。
夕方くらいまでは同じ寝室に他の2匹も入れて3匹で生活させ、
夜に寝室の扉を開放。 
人間が寝る時に「う~」は抱っこされて一緒に2階の寝室へ行く。
夕方から人間が寝るまでの時間は、ギョロちゃんもうどんも一緒だ。
相手が嫌いなら近寄らなければ良いだけだ。
実際はう~ちゃんはギョロちゃんが好きだったのだが、
ギョロちゃんがう~を嫌っていたというか、怖がっていたようだ。
小さかったはずの猫が自分よりも大きくなって、力も強くなってきたところに
じゃれついたはずみで噛まれたところが化膿したからだろう。
 
昨年の12月は2周年。
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先住猫の虎王やパチローとはとても仲が良かった。
だが、虎王は甘え下手な猫なのでもしかしたら、うどんのそばに居れば
自分も可愛がってもらえるかもしれないと考えている気がしなくもない。
実際うどんは甘え上手でもあり、叱られるとでんぐり返りをしたりして
拗ねるようなところもあったのだが、またそこが可愛らしくてついつい甘やかした。
青猫のパチローとは一番仲が良かったと思う。
何故か、食事の前になると自分たちのお皿の前で殴りあいをしていた。
かと、思うとどこへ行くにも一緒のような感じで2人(猫)セットで居ることが多かった。
 
今年の12月16日で丸3年。 3歳8ヶ月。
11月の半ばに呼吸が荒いのが気になり病院に連れて行った。
一番信頼している病院の院長が学会出席のために不在。
他の獣医師の診察だったので、仕方なく他の近くの病院へ。
ところが、レントゲン室でパニックになり呼吸困難であやうく命を落としかけた。
心臓が悪いとのことだった。
数日後、具合が悪くなり相談に行くも病院に対する不信感の方が大きかったので
その翌日、遠いが一番信頼できるドクターのところへ病院を変えた。
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上の2枚は病気になってからの写真。
もともと伏し目がちなコだったので、左の写真のような表情をすることが多かった。
 
 
 
 
 
前の病院で死にかけたこともあり、通院自体がものすごいストレスになるので
コンデジで撮影した動画と細かい観察記録をつけて、
それをもとに投薬治療をいろいろ変えながら試してみましょうということになった。
年末になったら、アタシの旦那が出張から戻るので2人であやしながらなら
エコーも撮れるだろうし、最悪はアタシが防護服を着て一緒にレントゲン室に
入る予定もたてていたが、急に投薬を嫌がるようになった。
失禁しながら暴れ、息も絶え絶えになるくらい嫌がる。
もう、こうなると通院やエコー撮影などは寿命を縮めるだけでしかない。
そして、病院に相談に行った12月20日の翌日。
21日の明け方3時過ぎに苦しみだして死んでしまった。
今まで見たこともないくらいの苦しみ方だった。
どんなに苦しいだろうが、替わってあげられない。
痛みも苦しみも死へのステップなのかもしれない・・・
そう思うしかないのも事実だ。
体をさすりながら、他の猫たちを呼び一緒に看取らせた。
 
あまり詳しくは書かなかったが、アタシ自身、後悔はない。
心臓と聞いて覚悟もできていたし、病気がわかってからは人間のベッドでは寝ずに
一階のホットカーペットの上の猫ベッドの横で毎日寝起きしていたので
ずっと一緒にいられた。
とても寂しいけれど、何故か、悲しいのだがそんな喪失感もない。
寿命がだいたいわかっていたので、思う存分一緒に過ごせたからだろうか。
 
それに数回ほど、不思議なことがあってオカルトチックではあるが、
もうあのコは完全に「向こう」に行ったと思えるのだ。
 
 
心臓の悪い猫様の飼育経験のあるブログ仲間のAさんからは
全く食べられなくなってしまった「う~」のためにいろいろなフードや療法食を
何回も送ってくださったり、「う~が死んでしまうよ」とアタシの愚痴のようなメール
お相手をしてくださったBさん、Cさん、Dさん、Eさん。
死んでしまってからは、「うどん」の「う~ちゃん」にきれいなお花までいただいた。
元気だった頃にアタシと一緒に寝ていた人間の寝室のテーブルの上に
飾ってある。Bさん、Cさん、Eさん、お花をありがとうございました。
 
3歳8ヶ月、ちょうど丸3年うちのコだった。
短いけれど、濃い3年で本当に楽しかった。
命があるから死もあるのだと思う。
いつかはアタシも死ぬから、またそのうち、う~にも会えるだろう。
 
また会えるその時まで、しばしの別れだ!
さらばぢゃ!う~ちゃん!
25 12月

今年最後のオフ会

ブログ仲間の小和田アキ子さん(http://blogs.yahoo.co.jp/akokowada)たちと
ちょっとした飲み会があった。
たまたま、アッコさんはお仕事だったのだがかなりお忙しい方なので
この機会を逃すと次にお会いできるのがいつになるかわからない。
同じブログ仲間の凛ちゃん(http://blogs.yahoo.co.jp/baccharis_1129)も
来るというので会いに行ってきた。
アッコさんのお仕事もちょっと拝見させていただく。
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トークも非常におもしろく
会場も盛り上がっている。
 
歌も当然ながらうまい。
 
アンコールでは、なんと
マイクなしでの歌唱。
 
会場からも拍手が沸きあがる。
 
 
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衣装ごとに靴やアクセサリーを
変えてらしゃる。
 
そして、衣装の
重たいこと・・・
 
 
ゴールドのスパンコールのドレスの重さと言ったら、
肩が凝るどころではないはずだ。
 
 
アッコさんのお仕事が終わると楽しい飲み会。
暖房で暑かったのだが、おいしいビールのためにアッコさんは水も飲まずに
居酒屋さん目指してGO!
 
この日は凛ちゃんもアタシも初めてお会いする亀ちゃんとおっしゃる、
イケメン男性もご一緒だった。
アッコさんと最近ネットで知り合われたお友達だたそうな。
 
この亀ちゃん、なんとアタシの家の最寄り駅から2つ先の駅の近くに
住んでらっしゃるとのこと。
当然のことながら話もはずむしとても良い方で、初めてお会いした感じがしない。
お祭りが大好きとのことなので、来年の三社祭りか鳥越祭りには
無理矢理東京の出張を作ってもらって是非、一緒にお神輿を担ぎましょう!
と、いう壮大かつ無謀な計画も2人でたててしまった。
 
凛ちゃんとは昨年の春に大阪で会って以来の再会。
彼女とはブログの訪問は滅多にしないのだが(ごめん~~)、
必要な時は携帯やlineで連絡取り合ったりはするのだが、
さっぱりしたお付き合いで、かつ、堅苦しくもなく・・・
非常に居心地の良い関係とでもいうのだろうか??
たま~~に会っても、つい1週間くらい前に会ったばかりのような雰囲気だ。
 
アッコさんとは、この夏にアタシが金沢に遊びに行って以来なので4ヶ月ぶり。
 
亀ちゃんとは初対面なのだが、かなり近くの方だし行動半径内の方なので
スーパーなどで顔を合わせることがあるような気がする。
 
タイトルにはオフ会と書いたのだが、正直、オフ会というよりは
いつもの飲み会といった感じだ。
ネットはあくまでも、知り合うきっかけになったツールであって、
先に友人になってしまってから、改めてネットで繋がることが多いアタシだ。
 
アッコさんも凛ちゃんも亀ちゃんもそうだった。
 
この12月もいろいろとあったが、ブログを通じて友人となった方々には
本当に助けられたと思う。
友人になってから、ネットで繋がった方々も同様だ。
 
他のブログ仲間とも会ったりしているのだが、もうブログとかネットを飛び越えての
お付き合いだから、ブログに書いたりはしなかったのだが、
今回のアッコさんの舞台がすばらしかったし、アッコさんを通じてまた新しい友人と
出会うことができて素敵な時間を過ごせたので思わずブログに書いてしまった。
 
 
19 12月

第72回活動報告 備前焼き土ひねり体験&日生かきおこ

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イメージ 3備前焼きの土ひねり体験では、焼き方を
自分で指定できる。
「緋襷焼成」(ひだすきしょうせい)という、
ガス窯で焼くのだが、藁で巻いて焼くので
巻いた箇所が赤くなるので「緋襷」。
 
「桟切焼成」(さんぎりしょうせい)は、
昔ながらの登り窯で焼くので、
燃料の赤松が燃えて灰になり、その灰が
ふりかかるためにそれぞれに色などがすべてバラバラにできるのだそうな。
 
土ひねりは同じなのだが、「焼成」によって値段が違ってくる。
当然、緋襷焼成の方が安い。
 
一番最初の写真の奥に写っている粘土を丸めたような状態のものが置かれており、
講師の方の説明を聞きながら、土ひねりにとりかかる。
なんでも、備前焼きの場合は「2分以上、土をこねくりまわさないこと」だそうだ。
先生のお話によると備前の土はものすごく良いので2分以上いじくってしまうと
土がダメになってしまうそうな。(空気が入るのがダメらしい・・・)
こねくりまわしてはいけないものらしい。
 
あの魯山人も備前を訪れた際にはすぐに作れる俎皿しか作っていないそうだ。
とにかく、備前焼は触らないのが吉とのことだ。
 
冗談で1分ほどで「でき~~た!」と言うと、先生は目をキラキラさせながら
「そうなんです!それで良いんです!良い状態のままの土で大変結構です!」と
半ば興奮気味におっしゃる。
こんなんで良いのか??と、問うと、
先生は「焼きあがらないとわからないというのも素敵じゃないですか!」とのこと。
 
土ひねりを済ませると焼く前に乾燥させるので裏に名前を入れて預け、
ある程度の数が集まったらまとめて焼き、後日、宅配便などで送付してもらう。
 
緋襷焼成で出来上がったのが下の写真の作品。(アタシが作った物ではない)
 
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藁を巻いた部分が模様となっている。
 
 
上の写真にあるチェックのエプロンをつけたメンバーの作品は
桟切焼成で焼きあがったのだが、なんとも言えぬ色合いだ。
 
イメージ 6こちらは赤松を燃料にして
登り窯で焼いた物だ。
現在は登り窯は煙の問題などで
山の方に移転しているそうだが
かつてはこの場所で
登り窯で焼いていたそうな。
(写真左下)
その横にガス窯もあった。
(写真右下の金属の箱のようなものが窯)
 
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白いドームに見えるのが登り窯。 これは展示用に残された物。
説明書きには1回の窯焚きに使う割り木の数は約1万本だそうな。
 
伊部の駅の周辺の田んぼの下を3mほど、冬場にだけ土を採る。
これが備前焼の土になるそうで、同じ備前だからと伊部以外の場所で採土すると
もう畑に使う土しか採れないそうだ。
同じ備前の「三石」では耐火煉瓦がよく作られているし、
またすぐ近くの「吉永」では「ろう石」が採石されているので、
そのような環境が回りにあるというのも良土のポイントなのだろう。
 
ただ、先生曰くは一般にはまず出回らないが信楽の限られた土は
もっと良いのがあるのだそうな。
 
この先生、とにかく備前焼きが大好きで大好きでたまらないというお方で
大きな目をキラキラと輝かせながら当初の予定時間を大幅にオーバーしながら
いろいろと備前焼について熱く語ってくださった。
 
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メンバーの1人が質問した。
何故、海苔のダンボール箱しかないのか?
 
先生がおっしゃるには、
焼きあがった作品を入れておくのに
ダンボールの厚みなどがちょうど良く
そのためにわざわざ、業者に頼んで
海苔のダンボールを確保しているそうな。
 
そして、備前焼き体験を終えてから伊部の街並みを駅に向かって散策。
途中、天津神社の前を通り伊部駅へと向かう。
天津神社は実はアタシの大好きな神社でよく見るといろいろと楽しい言葉や
元気がわいてくる言葉などが書かれた紙があちこちに置いてあり、
狛犬から瓦、敷石に至るまで備前焼き。
塀の上に乗っている十二支の動物たちも備前焼。
このサークルの時は鳥居付近しか見ていないのだが、
この神社は来るたびに明るい気持ちになれる場所なので個人的に
何回か訪れており、写真もあるので別の書庫で詳しくアップすることにしたい。
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駅近くの公園には地元の子供たちが作った
備前焼の陶板が埋め込まれていた。
イメージ 12
蛙の顔を描いてみたり、
中には「女の出世」がどうのだとか
じっくり見ていると面白い。
みんなバラバラ、上手下手など
関係なく自由にやっているのが
とても良い。
公園の近くには登り窯のある建物が残っている。
横から見るとこんな風になる。
(写真右下)
  イメージ 13
駅に向かう道沿いには備前焼のお店も
たくさんあり、街のあちらこちらに
備前焼きの土管を使った門柱だとか
陶板の表札だとかを見かけることができる。
 
漆喰で作る「なまこ壁」までも
備前焼きなまこ壁にアレンジしていた。
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備前焼の土ひねりをする時は、
いきなり作りだすよりもあらかじめ
自分でどうのような物を作りたいのか
イメージを固めてきた方が良いとのことだ。
とにかく、こねくりまわして土に空気を
入れたら土が死んでしまうそうなので
初心者は「俎皿」などが無難だそうだが、先にそれを言って欲しかった・・・
アタシが作った物は皿にもならず、灰皿にもならず・・・
捨てるわけにも行かず、結局、玄関の下駄箱の上に放置されたままだ。
だが、冷たく水分の少ない感じの粘土のような土をひねるのは楽しかったので
今度挑戦するときは、俎皿を作ってみることにしよう。
そして伊部駅でそれぞれにお土産を購入し帰路についた。
アタシが買ったのはもちろん、フルーツ王国岡山ならではのフルーツカレー。
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個人的には柿のカレーの方が好きだ
ピオーネのカレーはピオーネの皮が
少し気になるかも・・・
 
カレーにチョコレートなどを加えて
コクや辛み、旨みを引き出すのと同じで
フルーツの甘みをうまく利用している。
実はこの商品、結構昔からある。
 
少し値段は張るが食べていても違和感なく、おいしいのでお勧めだ。
7 12月

東京市電唱歌を歩く~第13番

第13番
商家は櫛の歯を並べ   ガス燈電燈夜を照らし
通り三丁 四丁目や    続く中橋広小路
 
かつて櫛の歯を並べたように建ち並んだ商家は現在では、
そのほとんどがビルとなってしまっているが、やはり老舗がかなり残っている。
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明治7年(1874年)にガス燈がこの通りに
設置される。
明治19年(1886年)には「東京電燈」設立。
電気の送電が翌年から行われている。
 
この唱歌が作られる以前から
すでにガス燈も電燈もこの地に通っていた。
 
 
そして通り三丁、四丁目は今は都営バス停にのみ残る呼び名。
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実は、この「通り三丁目」のバス停はかつての
「通り四丁目」にあたり八重洲通りにある。
 
日本橋を起点として、中央通りを挟む形で
(日本橋)通り一丁目から四丁目というのがあった。
町名変更を繰り返しもうなくなってしまったが、
恐らく、日本橋から一町ごとに一丁目から四丁目が
あったのだろう。
ただ、昭和の初め頃はこの辺りは通り三丁目と
町名変更となっていたのも事実だ。
 
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突き当たりは東京駅の八重洲口。
その前に通る八重洲通りにそのバス停もある。
だが、あくまでも当時の東京市電は、中央通りを走っていた。
昔から、この中央通りが「電車通り」と呼ばれていたくらいだ。
 
江戸時代に存在した「中橋」の周辺にあった「中橋広小路」も一番下の右側の
写真のようになってしまっている。
今では、東京で「広小路」というと「上野広小路」がその名前を残すのみと
なってしまったが、もともと広小路といのがその名のとおり広い路なので
あちこちに存在した。
そして、第14番の歌詞に沿って京橋、銀座へと足を延ばした。
4 12月

ふじいでら温泉の暖簾

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藤井寺の「ふじいでら温泉」にあった暖簾。
こちらもお馴染みの牛乳石鹸の暖簾で、2012年に配布された暖簾だ。
 
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