munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

いとしのマンホールコレクション

7 10月

8年ぶりの考察~神田の下水??の蓋について(補足あり)

このブログを始めた頃にアップした蓋の記事について8年ぶりに考えてみた。
ブログ仲間の馬明さん(http://blogs.yahoo.co.jp/aqua01242000/35424355.html)の
「岩本町の角蓋」の記事にアタシの過去記事をトラックバックするつもりで
8年前の自分の記事を読み返していた。
偶然だったのだが、別の調べごとをしていてわかったことと自分が書いた
ブログ記事のことが結びついたような気もしたので、
馬明さんには過去記事とこの新しい記事をトラックバックさせていただくことにする。
 
さて、8年前にアップした問題の蓋は、
 
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上の画像の蓋なのだが、書いてある文字が「下水」と「榊」に見える文字と「沼」。
馬明さんはこの「榊」に見える文字を「柳」ではないか??
近くには柳原商店街などもあるので、と、考察されていらっしゃる。
 
アタシも「榊」はどうか??
 
実は、この蓋が発見されているのは神田岩本町。
「柳原」というのは、よく時代小説や時代劇などに出てくる場所で
江戸時代から「柳原土手」とアタシたちは呼んでいた。
ただ、イメージ的に江戸時代の盛り場である浅草橋に繋がる道なのだが、
夜は辻斬りとか多かった場所でもあったようだ。
 
神田の人間としてのイメージで言うと、あまり柳原は使わないような感じだ。
むしろ地名として残しているのは浅草橋、鳥越地区の方だ。
町名変更で消えている地名だが、今でも「柳北町会」などと
地元の人間は呼んでいるくらいだ。
 
神田岩本町と浅草橋は非常に近い距離にある。
普通に歩いて行ける距離だし、アタシも普通に歩いて移動している。
 
たまたま別件で調べ物をしていて「浅草榊町」というのがかつて存在したことが
判明した。
 
明治5年(1872年)に第六天榊神社が移転してきたことにより、
「浅草榊町」と言う町名に変更になった場所がある。
現在の柳橋1丁目と浅草橋1丁目だ。
 
その後、昭和3年(1928年)に神社は蔵前へ移転し、昭和9年(1934年)に
「浅草榊町」は「浅草橋1丁目」と町名変更をしている。
 
都内に詳しくない方のために一言申し添えておくと、
スカイツリーの近くの浅草ではなく、戦前の「浅草区」の浅草であって
観音様のある浅草ではない。
江戸時代には浅草よりも浅草橋の方が「お江戸」だった。
浅草は江戸というよりも江戸郊外とのギリギリの境にあたるのだ。
 
「浅草榊町」に話を戻すと、「柳橋1丁目」も「浅草榊町」になる。
 
「榊」と「柳」だ。
 
どうしても神田で「柳うんぬん」と言うよりは浅草橋近辺での「柳」の方が
アタシにはしっくりくる。
神田で柳原と言っても、土手のイメージしかないからだ。
恐らく、明治、大正、昭和のはじめとなると、そのイメージはもっと濃厚だろう。
 
これを浅草橋と考えると、「榊」も「柳」も両方うなずける。
 
もしかして「浅草榊町」の沼のつくお名前の店が作った蓋ではないだろうか??
 
現在よりも少し遡った時代の資料でかったっぱしから「沼」のつく名前の業者を
探してみたのだが、1件も見つからなかった。
 
「榊沼」もしくは「柳沼」は会社名というよりは、「屋号」ではなかろうか?
 
この近辺の人間は今でもお互いを屋号で呼び合うことが多い。
 
あくまでも、アタシ個人の推測の域でしかないのだが、
「浅草榊町」にあった業者ならば、「榊」でも「柳」でもどちらでも正解なのだと思う。
 
昭和9年(1934年)に「浅草榊町」という町名はなくなったが、
屋号として名前は残っていたことだろうと思う。
 
自分の記憶を手繰ってみて柳橋周辺の蓋を思い出してみたのだが、
あの近辺は再開発が繰り返されており、柳橋自体も橋や堤防工事が
行われているので、そんなに古い時代の蓋が残っていなかった記憶がある。
 
たまたま祖父の代からの付き合いのある柳橋の食べ物屋の主にも
電話して聞いてみたのだが、店主もまだ70歳にもならないために
当然、何もわからないとのことだった。
もしかしたら、店主のご母堂だったら何か覚えてらっしゃったかもしれない。
一番最初にブログにアップした頃はまだご存命だったし、
この写真を撮影した当時はアタシもよくその店に行っていたので
その時にこのことに気がついていたら何か伺えたのかもしれぬと思うと
自分の頭の悪さが情けなくなってくる。
 
恐らく、「榊」でも「柳」でも正解だろう。
もう、勝手に決め付けることにした。
もしかしたら、全く違うのかもしれないが突然閃いたことなので、
自分自身の勘を信じこむしかないだろう。
 
そういえば、アタシの実家も社名と屋号は全く違う名前を使っていたが、
近所の人たちや出入り業者の人たちは 皆、屋号で呼んでいた・・・・
 
現在の資料では社名しか載っていないだろうから、
調べ方も変えないとわからないかもしれない・・・
 
それか、案外、かなり以前に廃業された柳沼さんとおっしゃる会社が
作った物だったりするやもしれぬ・・・
無理なこじつけなどせずに、そのまま素直に柳沼工業所と読めば
あれこれ考えなくとも済むのだが、考えるからこそ楽しいのだ。
 と、先ほど補足したのだが、柳沼某という会社だとしたらこの蓋に
正確に記されていないのがものすごく気にかかる。
通常、店の名前は正確に記すはずだ。
 
再度の補足になるが、やはりこれは「屋号」だと思う。
洗髪しながら、突然閃いた。
何も考えていない時に「あれ!?」っと浮かんできたのだ。
 
 
 
アタシの過去記事はこちら
    ↓
 
 
馬明さんの記事はこちら
    ↓
1 2月

2年間だけ使われたKDDの蓋

現在のKDDIの蓋になる以前に2年間だけ使われた蓋があった。
平成10年(1998年)12月から平成12年(2000年)10月まで使用された
KDDのロゴマークの蓋だ。
日本高速通信との合併でKDDからKDD株式会社になった当時のものだ。
イメージ 1
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「人間」をモチーフにデザインされたマークだそうな。
そういわれてみれば、「人」という字にも似ている気もする。
デザイナーはフミ・ササダ氏で、現在のロゴも同氏のものだ。
マーク本来の色はKDDレッドと呼ばれる赤。
KDDはその後、吸収合併を繰り返して現在に至っているので、
この蓋だけに限っていえば、約2年間だけ使われた蓋、と、いうよりは
その2年の間に設置された蓋ということになる。
 
 
 
DDIの蓋の過去記事
  ↓
 
 
日本高速通信の蓋の過去記事
  ↓
 
 
 
上記2つの会社などとの合併でKDDからKDDIへとなるのだが、
今、ここに来て気がついたことがある。
 
それは・・・
 
かなり昔にブログにアップしたつもりの肝心の「KDDIの蓋」の記事を
アップしていなかったということだ!
(他のIDOの蓋やもっと昔のKDDの記事なども同様だ)
 
正直、膨大な画像やプリントした写真から発掘してまたKDDIの蓋記事を
アップするのはかなり時間がかかる上、かなりアナログな方法で
その会社やマークについて調べるので、ものすごい時間がかかる。
(基本的にあまりネット検索は信用しないことにしているからだ。)
調べた当時のメモも発掘(探す)しないといけない。
 
あまり更新を溜め込むとこういうことになる。
う~~~む・・・
6 8月

日本道路公団の蓋

西日本のSAで見つけた、旧日本道路公団の蓋。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まだ、夜が明けぬ時間帯に
見つけて撮影した。
「JH」もマークが懐かしい。
Japan Highway Public Corporation の英文名称から作ったマークだ。
平成17年(2005年)に分割民営化される以前に設置された蓋だろう。
日本道路公団に関しては、Wikipediaを参照いただければと思う。
ちょうど、マークの画像も載っている。
 
 
 
現在の「西日本高速道路(株)」の蓋の過去記事も併せてご覧いただければと思う。
      ↓
29 6月

戦前の防火水道の蓋

東京で見つけた蓋。
以前、日銀前で同様の蓋は見つけて7年ほど前にブログでアップしているが、
この蓋の方が古い時代のものだと思う。
イメージ 1
その理由として「防火水道」の文字
が右から書いてあるということ。
 
「防火水道」という言葉自体が
戦前に使われていた上、
左から文字を書くのが戦後、
恐らく昭和25年(1950年)よりも
少し前あたりから増えてきている。
戦前でもすでに左から書くことが
あったかもしれぬが・・・・
 
だが、普通に考えて右から書いてある蓋の方が古いのではないかと思う。
この蓋は舗道の中心あたりにあり、かなり磨耗してもおかしくないのだが、
幸いにして磨耗度もさほどひどくないようだ。
 
 
過去記事の写真と見比べていただければと思う
(撮影場所は異なるが近いには近い)
     ↓
14 6月

処分されるかもしれないマンホール(番外編)

実は、「マンホール」の書庫にしようか?それとも「トマソン・貼り紙」の書庫に
アップするべきか?かなり悩んだのだが、
番外編として「マンホール」の書庫にアップすることにした。
イメージ 1
警告
この物件の所有者は、
至急撤去してください。
18日までに撤去しない
場合は不用のものとして
処分します。
平成2418
東京都第六建設事務所
警視庁浅草警察署
 
イメージ 2
恐らく、放置自転車か何かに
貼ってあったものをはがして
このマンホールの蓋に貼ったの
だと思うが、念のために
はがれるかどうか、試みたのだが
かなりしっかりと張り付いていた。
 
5月18日に貼られその日のうちに
撤去しないと処分されてしまう・・・
 
 
だが、これを見つけたのは同年の5月21日の月曜日。
恐らく、三社祭りなどで警察も忙しかったので撤去が遅れていたのだろう。
もしかしたら、もうこの蓋は処分されてしまったかもしれない・・・・
 
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