munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

建築と文化を愉しむ会

11 12月

第77回活動報告 佐和山遊園&旧豊郷尋常小学校 その2

小学校廊下
うさぎと亀sたいrkaidann
佐和山遊園の後は車で旧豊郷尋常小学校へ行った。
以前は年に1回程度しか公開されておらず、それも抽選に
当たった人しか見学できなかったが、現在は一般公開されている。
一時期、建物の取り壊し問題でかなりトラブルがあり
ニュースにもなったほどだが、今はこの建物は安泰だ。
昭和12年(1937年)築、RC地上2階建(一部3階建)
一粒社・ヴォリーズ建築事務所設計、施工は竹中工務店。
「うさぎとかめ」のあまりにも有名な階段が目をひきつける。
何故、「うさぎとかめ」なのか?
是非、ネットで検索していただければと思う。
敬虔なクリスチャンでもあり、児童の教育にも力を注いだ
ヴォリーズの想いが年月を経て伝わってくるはずだ。

ベンtr等亀
階段の下には
「弁当保温所」があった。
児童たちが持参したお弁当が温かい状態で食べられるように
配慮されたものだそうな。
後年になってここはアニメの「けいおん」の舞台となり
今でもそのファンの方々がこの場所を盛り上げていらっしゃる。
けい音「¥pppbetubekkann
旧図書館だった建物もすべて活用されており、
ここも「けいおん」ワールドとなっていた。
この旧豊郷尋常小学校の建物群に関しては、
マスコミやネット、書籍でもかなり詳しいことが
記録されているので興味ある方は検索されてみては
いかがだろうか?

「美しいものを美しいと感じる心は、小さい頃から
 美しいものに触れたり、見たりしないと育たない。」

このヴォリーズの言葉がアタシは大好きだ。
美しいものの概念は個人差が大きいはずなので、
自分の目が見えるうちは、たくさんの美しいもの、
変なもの、おもしろいもの、醜いもののすべてを
見尽くしたいとも思っている。
そして、旧豊郷尋常小学校を後にして
京阪電車の古い駅舎を見ながら帰ることになった。








18 10月

第77回活動報告 佐和山遊園&旧豊郷尋常小学校 その1

13-12-1
2P115000356
滋賀県の彦根市にある「佐和山遊園」という場所に一度
行ってみたいという希望がサークル内で出ていた。
「佐和山遊園」って何?と、思われた方は是非
Wikipediaを貼っておくのでご覧いただければと思う。
 ↓

この時は、佐和山遊園の後に旧豊郷小学校や近江鉄道の
古い駅舎なども見てまわろうということになり、
JRの野洲駅に集合し、事前に予約を入れておいたお店で
メンバーお勧めの釜飯の昼食をとったあとに
大きめの車3台編成で行くことにした。
平成27年(2015年)には立ち入り禁止となり、
2年前の平成29年(2017年)には「売却・解体」の
看板が立てられたとのことだが、まだ、この時は
普通に入園することができた。
入園料は無料。和と洋が混在する空間だ。
和洋折衷ではない。混在という言葉こそがふさわしいのだ。
舗石に緑のペンキが塗られており、作業途中なのか?
ペンキがついた刷毛が転がっていた。
すべてが自作らしい。
山門をくぐると最初に美術館がある。
中に入ると・・・
雨漏りからか?天井の一部が抜け、動物の足跡がたくさん。
そこを出るとお寺や城などがあり絵画や彫像などが
飾ってあるのだが、そこにもセメントなどの袋が置いてあり
展示物もなんともいえぬ感じで「シュール」だ。
P1150063P1150023P1150018
99-1P1150013
この帽子も作品の一部なのだろうか?
誰かの落し物なのか?臨時の帽子掛けなのか?
P1150019P1150027P1150049
P1150052P1150057P1150051
チープ感が否めないのに何故か細部までこだわっている。
「彦根歴史公園」と書かれた石碑もあった。  
佐和山遊園ではなかったのか??兼任なのか??
あのTV番組「探偵ナイトスクープ」でも
以前取り上げられたことがあったそうな。
(「パラダイス」扱いだろう絶対・・・・)
当初は入園料300円だったらしい。
    P1150030P1150032昔の回転扉が残っていた。
錆ついており、もう使えないようだった。
パラダイス「佐和山遊園」を出て、豊郷尋常小学校まで
車を連ねて移動することにした。

























 















27 4月

第76回活動報告 グンゼ記念館 

京都の綾部にグンゼ記念館というのがある。イメージ 11
大正6年(1917年)築。 
設計は四方亀蔵氏、木造建。
旧郡是本社の建物。
サークル活動は基本、土日に活動なので
なかなか開館している時に見学ができなかったが、
思い切ってグンゼ本社に連絡してみたところ、
サークル活動のことを話し、できれば社員の方の
説明などもお願いできればという厚かましいお願いに
快諾していただき、見学させていただけることになった。

(このサークルでの訪問はかなり以前なので、現在はそのような申し出があっても
 対応していただけるかはわからない。アタシがブログの更新をさぼっている為、
 実際の訪問やグンゼへの交渉はもう何年も前のことだからだ。)

右上の画像がグンゼ記念館。
大正6年(1917年)築。 設計・四方亀蔵氏。 木造地上階建。

すぐそばに昭和8年(1933年)築の旧社屋が残っている。こちらはRC造2階建。
イメージ 1イメージ 2
まるで星のような形の柱が美しい。
見学させていただくのは、
一番最初の画像のグンゼ記念館と
そのお向かいにある旧繭蔵だった
グンゼ博物苑だ。

旧繭蔵だったグンゼ博物苑(右下画像)は明治43年頃(1911年頃)の建物を
改造して繭から糸を作り、それを紡いで作られた製品やそれらを生み出す機械や
歴史などの説明書きがたくさん展示されており、イメージ 3
自分たちの身近な物に関するばかりでとても楽しい。
昔の繭の選別器や靴下製造編み機のような物や
まだストッキングが高価だった時代のストッキングの
ほつれを補修する特別な補修編み機や半袖の肌着や
ブリーフができるまでの実際の工程がわかるような展示物。
写真のアップロードができないのが残念なくらい面白い博物苑だ。

この博物苑を訪れて初めてわかったのだが、グンゼは肌着だけではなかった・・・
肌着の老舗メーカーという認識程度だった自分が情けない。

『エンジニアリングプラスチックの継ぎ目のないベルトを製造し、
 カラー転写機やプリンターの転写ベルトに使われている。』

『耐久性の強い絶縁チューブなどや半導体業界で超純水洗浄フィルター向けの
 部材の紡糸の繊維。』

『菓子、瓶、乳製品、畜肉の用途や医薬、工業でも使用されている二軸延伸複合
 ナイロンフィルム。』

『グンゼの技術はタッチパネルなどにも応用されている。』

『手術用の糸、簡易型自己血糖測定器、骨の接合剤、人口皮膚などや
 その材器も作っている。』

などなど展示内容から新しい発見が続々と・・・・

一番驚いたのがペットボトルのラベル用のフィルムもグンゼの技術だそうな。
社員の方の説明も丁寧、親切だった。

博物苑の展示内容に関しては下記をご参照していただければと思う。
        ↓
http://www.gunze.co.jp/gunzehakubutu/


イメージ 4見学後に受付で繭のお土産をいただいた。
加熱処理後の繭なので固いが、強めに押すと
中が空洞なのがわかる。
博物苑の受付から記念館へ連絡を入れてもらい
記念館の見学に。

こちらの記念館でも別の社員の方が案内をしてくださった。

明治29年(1896年)に郡是製糸会社として作られたそうな。(糸は旧字で糸2つ。)
当初、京都、それも特にこの地方の繭、生糸は粗悪として有名だったそうな。
そこで、蚕糸業組合の組合長の波多野鶴吉氏が羽室組という製糸場を設立。
元農務省次官の前田正名氏を呼び寄せ、彼の産業立国論にある、
『今日の急務は国是、県是、郡是、村是を定むるにあり。』から『郡是』となった。

一株20円で資本金98000円を集め、品質向上のために正量取引を確立。
そして、明治33年(1900年)には毎月5の日と10の日の相場で
生糸売買する成行約定を輸出商社と結ぶ。
やがて全国の業者もそれにならったそうな。

記念館の内部写真もアップロードできないが、上記のURL(グンゼ博物苑)の
サイトで写真をご覧いただければと思う。

イメージ 5グンゼには創立以来の「三つの躾」というのがある。

あいさつをする・はきものをそろえる・そうじをする

当たり前のことだが、その当たり前を実際に行い
継続するのは結構難しいかもしれない。

この三つの躾が書かれたA3の大きな紙もお土産にいただいてきた。
博物苑の社員の方も記念館の方も上記の躾のおかげか誠に感じが良く、
仲良くサークルの集合写真に一緒に納まっていただいた。

記念館に入ったと同時にかなり強い雨が降ってきたので中庭にある蔵を
うまく撮影できなかったのだが、蔵には「是郡」の鏝絵があった。
郡の文字が旧字になっている。
イメージ 6右側のつくりが「邑(むら)」になっている。
この蔵も恐らく設立された当時のものだろう。
蔵の窓の庇の下にある鏝絵もかなり気になった。
だが、雨が激しくて肉眼でもかなりわかりにくい。
目一杯ズームにしてカメラで撮影したところ、
波とあと何かが描かれているようだ。

イメージ 7イメージ 8三つある鏝絵だが、
一つは兎と亀が写っているように見えなくもない。
残り二つは画像を拡大したり
明るくしたりしたが不明だ。


見ようと思えば鳳凰の首が描かれているように見えなくもないのだが、
やはり暗い天候の中、離れた屋内からの撮影だったので無理があったようだ。
イメージ 9イメージ 10
記念館の換気口の模様がなんとなく
ストッキングの網目の模様にも見えるのは目の錯覚だろうか?


記念館、博物苑だけでなく、隣接する建物もそのほとんどが
大正から昭和にかけて建てられたものばかりだ。

強雨にもめげずに撮影はしたものの、レンズの雨滴が写っていたりで
その建物の画像はアップできないくらい悲惨な画像ばかりなのだが
博物苑の展示も記念館の展示も非常に良かったので
雨が降らない日に再訪したいと思っている。
4 4月

第75回活動報告 山本清記念財団 その2

展示室を出てから居住室を見学させていただく。イメージ 1
机も奥にある茶箪笥は紫檀だろうか?
細かい細工も見事な茶箪笥だ。
ソファの後ろに見える引き出しは桐箪笥でイメージ 2
この部屋の裏側に
ある埋め込み式の
箪笥の引き出しと
両側から使えるようになっている。
イメージ 3堀炬燵のある部屋には一枚板を使用した
鏡台などの一見地味に見えるのだが
贅沢な調度品が置かれていた。
この堀炬燵は昔懐かしい電気式のヒーターが
下に設置されている。
美しい手すりのある階段を登り二階にあがると
「神棚の間」というのがあった。
イメージ 4名前の通り神棚がある。
格天井の部屋で、神棚の腰板の模様と吊られている照明の模様がマッチしている。  
二階も和室と洋室の折衷から成り、
和室付近には「裏階段」のような物があった。
庭側の和室に出入りするのに便利な位置で
使用人用の階段だったのだろうか?
イメージ 5イメージ 6イメージ 7昭和13年の
建築当初に
設置された
湯沸かし器も残っている。
蛇口には
「上」と「湯」
の文字。
「上」は恐らく
上水道。

蛇口をひねるとそのままお湯が出たのだろう。
同じ時期に建てられたアタシの自宅よりも進んでいる!
イメージ 82階の網戸は色が濃い。
蚊帳に使う素材で作ってあるのだろうか?
マントルピースやシャンデリアのある寝室には
サンルームのような小部屋がついている。
かつてのバルコニーだった場所を
改築して小部屋にしたそうな。
境目には亀甲の金網入りの強化ガラスと
普通の金網入りの強化ガラスが入った扉が使われている。
イメージ 9イメージ 10イメージ 11






右上の上部にあるサッシ窓は
バルコニーを改築してから
取り付けられたものだそうな。

昭和13年(1938年)築。 岡田孝男氏設計。笠谷工務店施工。木造2階建。
もともとは鳥取に何代にも渡り、たたら製鉄を伝承してきた近藤一族の
七代目にあたる近藤寿一郎氏が建てた建物で、その後、人手に渡り
最終的に山本清氏が入手したようだ。
山本清氏は神戸にあった
合資会社第一飲料鉱泉所を戦後に設立し、
その後東京に進出し食品会社を持たれたようだが、
現在はそれらの会社がどうなっているのかはわからない。
一番最初の会社の社名から察するにサイダーの会社だろうか?
(実は神戸市内に同名の会社がある。個人的には東京に進出した会社とか別に
 この合資会社を残したのではないかと思っているので、一度訪問して確認しようと
 思ってはいるのだがまだ実現できていない・・・)

話は戻るが、この建物を最初に作らせた近藤寿一郎氏の故郷の鳥取の
川の石をわざわざ運ばせて庭石に使っている。
近藤氏はたたら製鉄に使う木炭の乾留の副産物である木酢液から
更に手を広げ化学事業などでも活躍された。
イメージ 12イメージ 13不昧流という流派の茶道のお茶室で
にじり口ではなく、貴人口。
不昧流は松江の流派で
石州不昧流とも言うそうな。

近藤氏がいつまで居を構えられて
いたのかはわからないが、
山本氏は5番目の所有者だ。



建物見学はかなり自由に見学が出来、それぞれに写真撮影をしたあとに
夙川駅まで散策がてら歩くことにした。イメージ 14イメージ 15
そこから阪急電車に乗り
芦屋川駅で降りる。
ちょうどホームにあった柱が
昔のレールを再利用した物
だったようで1925の文字。
たまたま頭上にあった物を
撮影しただけなので、
他の年数のレールもあると思うがこれは1925年、
大正14年に製造されたレールだ。
イメージ 16イメージ 17駅から南に向かって下り
芦屋仏教会館の前を通る。
http://ashiyabk.org/contact.html

昭和2年(1927年)築の建物だ。

片岡安氏の設計。施工は大阪高橋組。RC造3階建。
免災構造で阪神大震災にも耐えた建物。
だが、震災後にほんの少しだけ移築して場所を変えている。

イメージ 18イメージ 19
道路の反対側には教会。
何回か訪れているが、
いつも開放されており
この時もを見学させていただいた。

カトリック芦屋教会
http://catholicashiya.jp/about

そして道に迷いながらも
蒸し暑い中、延々と歩いて
訪問した打出教育文化センター。
http://www.city.ashiya.lg.jp/uchibun/topindex.html              

イメージ 20イメージ 21明治期に
建てられた
鉄筋コンクリートの建物。
もともと
大阪にあった
逸見銀行の
建物を松山与兵衛氏がこの地に移築して、収集していた美術品の収納場所に
していたそうで、「松濤館」と名づけられていたそうな。
移築されたのは昭和5年(1930年)のことだそうだ。
扉には右から書かれた「濤松」の文字があった。
以前は図書館として利用されていたらしいが、現在は教育文化センターとして
活用されている。
そしてやっと芦屋警察署に。ここまで来ればもう駅は目の前だ。
イメージ 22昭和2年(1927年)に建てられたRC造3階建の
兵庫県内務局営繕課の設計によるものだが、
平成11年(1999年)から平成13年(2001年)にかけてファザード部分のみを残しての
大改修工事を行った。
建築当初のデザインはそのまま残してある。
玄関口のアーチの真ん中には夜でも目が見える
ミミズクのレリーフがはめ込まれており、階段を上がったことろには
ステンドガラスも残してあった。
ここは写真だけ撮影して、目の前の阪急電車の芦屋駅から電車に乗って
それぞれ帰路についた。

かなり昔だが、このブログでも一度アップしたことがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/41853191.html
16 7月

第75回活動報告 山本清記念財団会館 その1

苦楽園にある「山本清記念財団会館」の見学を申し込んでの訪問だった。
山本清さんって誰?という方はこちらを参照していただければと思う。
財団のHPにプロフィールが載っている。

http://www.yama6677.jp/yamamoto.html

阪急の苦楽園駅に集合し、早めのランチを摂ってから見学に。
かつての「そごうWING苦楽園」の前を通る。
現在は「リーストラクチャー苦楽園」という名前になっていくつかのテナントが
使用している。
イメージ 1平成3年(1991年)築。
八束はじめ氏/UPM 設計。
新井組・施工、 3階建 RC造 一部S造。

バブル世代の建物だが、興味を示すのは
アタシの他には1名の男子のみ。


残念なことにアタシのサークルでは現代建築に興味のあるメンバーは
アタシを除くと男性メンバー2名の3名のみだ。
みんなレトロな物にしか興味がないらしい・・・・(悲)

そのために途中でいくつか素敵な建物の写真を撮ったりしているうちに
男性メンバーとアタシは他のメンバーから遅れて歩くことになったが
財団会館への道を知っているのはアタシだけなので結局、皆を待たせることに。
イメージ 2イメージ 3
現代建築は
撮りだすと
キリがない。
町じゅうが
現代建築
なのだから。
右の建物は吹き抜け部分の丸窓にスワンがいた。イメージ 4
茶室の丸窓の障子を開けたらこんなかわいらしい
スワンがいたりとか、シルエットが浮かんでたら
素敵だろうな・・・と思いながら歩いて目的地に到着。
イメージ 5

昭和13年(1938年)築。
設計は岡田孝男氏だそうな。
岡田氏は茶室研究で知られている方だそうで、
実はこちらの記念財団会館の中に
展示されている茶器や茶室も楽しみだった。
イメージ 6イメージ 7横の開いている扉から中に入る。
扉の裏側も装飾を打ちつけた鋲が
見えていて、まるで模様のようだ。

玄関はスパニッシュ風の和洋折衷。
天井は舟底天井で横の壁には
ステンドガラスがはめこまれている。
と、説明書きには書かれていた。
(左下の写真が玄関だが、
あいにく天井もステンドガラスも
写っていない。)
イメージ 8イメージ 9イメージ 101階に茶器展示。
壁紙は建築当初の
ヘッシャンクロスが
今でもそのままだ。
イメージ 11





展示室の説明書きには「ドンゴロスの風合いを残したヘッシャンクロス」とあった。
昔、よく聞いた「ドンゴロス」という言葉に懐かしさを覚えた。
子供の頃、「言うことを聞かないとドンゴロスのおじさんに連れて行ってもらうよ!」と
親に叱られたことがたびたびあった。
この意味がわかる世代は間違いなく半世紀以上生きている方々だろう。
イメージ 12イメージ 13オパールセントガラスを使った窓。
あの宝石で有名なティファニーが
作ったガラス技法で、
光の加減などで美しい色合いを
生み出している。
この財団記念館の建物にある
照明や調度品の数々は
建築当初の物だそうだ。
1階で茶器コレクションを拝見し、
2階へと移動するのだが、
続きは次回に.・・・・・



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