第15番
銀行 会社 商館の ならべる大廈 高楼は
いずれも石造 煉瓦造 目を驚かすばかりなり
第16番
新橋渡りて 左には 同じ名のある ステーション
線路は同じ大通り 芝の町々走り行く
15番の歌詞の如く 目を驚かさんばかりの美しいビルディング。
ただ、石造や煉瓦造ではなく、すべてRC造だ。
この数年でどんどん美しいビルディングが増えていくのが銀座だ。
東京市電唱歌が作られた時代の建物は残ってはいないが、
電車通りと呼ばれたメイン通りだけでなく、横の通りにも大廈、高楼が並んでいる。
ブルガリ銀座タワー
清水建設の設計 平成19年(2007年)築
その奥に見えるのがルイヴィトン
青木淳建築計画事務所が
平成16年(2004年)に外装設計
外装のパネルが非常に凝っていて
夜になると別の顔を醸し出す仕掛けに
なっている。
ご存知、銀座ライオンの建物。
昭和9年(1934年)築。
菅原栄蔵氏の設計。施工は竹中工務店。
昭和53年(1978年)に大規模な改修工事をしている。
最上階の外壁に
凝った装飾が見える。
この設計者の方は
よくF・ライト氏の作風に
似ているとか評されるが
確かに似ている。
確かに旧甲子園ホテルを彷彿とさせるモチーフ。
よく見ると、日本家屋の屋根も見える。
屋上の一角に神社があるのだろうか?
昔はよく、建物の屋上に神社が祀ってあった。
今でも社員の方々、もしくは役員の方々が
お参りされるのだろうか??
そしてH&M GINZA(手前) と、ヤマハホール。
H&Mという外資系高級カジュアル洋品店とでもいうか・・・
ここには以前、ガスホールがあった。
ちょっとしたコンサートなどに使われ、
アタシもコンサートの鑑賞で何回か来たことがあったが、
平成20年(2008年)に鹿島・清水建設が共同で
設計、施工を手がけて生まれ変わった。
昔、ガスホールだったので、
建物のデザインもガスの炎だそうな。
その隣にあるのがヤマハホール。
平成22年(2010年)に日建設計の手によって
新しく建て替わっている。
外壁のガラスのパネルには金箔がはめ込まれている。
離れた場所から見るとこの金箔サンドイッチのガラスが
まるで波のように見えるようになっているとのこと。
銀座を抜け、かつての汐留川だった場所にあった新橋へ。
よくテレビなどでサラリーマンのインタビュー場面の
放映でお馴染みの新橋。
あの「新橋」はこの橋があった場所から少し北になる。
大正14年(1925年)にこの「新橋」の親柱は橋の架け替え時に建てらた。
昭和36年(1961年)頃にこの下に流れる汐留川は埋め立てられ、
橋はこの親柱が残るのみとなった。
新橋のみならず、このあたり、否、「東京市」には川がたくさん流れていて
橋もたくさんあったのだが、戦後、急速にその大半以上が暗渠にされてしまった。
新橋の親柱のあったすぐ横には「東京行進曲」の歌詞が書かれた石碑があり、
またその石碑の後ろには「銀座の柳の2世」とされている柳の木もあった。
『植えて嬉しい 銀座の柳♪』と達筆で石碑には歌詞が書いてあり、
またその脇の照明も東京都の花でもある桜のデザインが施してあった。
かつての汐留川に架かる新橋を渡り(歩き)、歌の通りに電車通りを左に折れると
「旧新橋停車場」跡に建つ「鉄道歴史展示室」がある。
↓
http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/index.html
平成15年(2003年)築。
JR東日本建築設計事務所、日本設計が設計
清水組が施工しているが、もともとは
明治5年(1872年)に建てられた、
日本で一番最初の鉄道の停車場だった。
関東大震災で建物が倒壊し、昭和9年(1934年)に再建されるまではこれと同じ
デザインの建物だったようだ。
昭和61年(1986年)までは貨物駅として使われていたがその後、
貨物駅も廃止され建物は解体されて、新たにこの「鉄道歴史展示室」として
明治時代の建物を再現して建て直された。
個人的には昔の汐留貨物駅の建物の方が馴染みがあり、思い出も深い。
こちらで展示物を見学させていただき、
何点か資料も購入させていただいた後に係員の方に
あるお願いをしてみることにした。
ここは旧工部省、鉄道省の「停車場」だった場所だが、
東京市電の前身である「東京馬車鉄道」は開業当時はこの停車場の軒先を借りる形での営業だった。
市電唱歌ができた頃には馬車鉄道ではなく、
電化が完了していたので旧新橋停車場を利用することなく、
電車通り(現在の中央通り)に乗り場を構えての営業になったはずなのだが、
そのあたりの資料や詳しいお話を教えていただければと申し出て、
いろいろな場所や担当者の方々に問い合わせていただいたのだが、
結果的には誰にもわからないとのことだった。
仕方ないので、また電車通りに戻り
ヤクルトホールの玄関前にあった自動販売機で
飲み物を買い、豪雨の中を芝の町々へと
歩くことにしたのだが、あまりにも激しい雨なので
途中で挫折してしまった。
そして、また日を改めて歌詞に沿って第17番から歩くのだった・・・・・
銀行 会社 商館の ならべる大廈 高楼は
いずれも石造 煉瓦造 目を驚かすばかりなり
第16番
新橋渡りて 左には 同じ名のある ステーション
線路は同じ大通り 芝の町々走り行く
15番の歌詞の如く 目を驚かさんばかりの美しいビルディング。
ただ、石造や煉瓦造ではなく、すべてRC造だ。
この数年でどんどん美しいビルディングが増えていくのが銀座だ。
東京市電唱歌が作られた時代の建物は残ってはいないが、
電車通りと呼ばれたメイン通りだけでなく、横の通りにも大廈、高楼が並んでいる。
ブルガリ銀座タワー
清水建設の設計 平成19年(2007年)築
その奥に見えるのがルイヴィトン
青木淳建築計画事務所が
平成16年(2004年)に外装設計
外装のパネルが非常に凝っていて
夜になると別の顔を醸し出す仕掛けに
なっている。
ご存知、銀座ライオンの建物。
昭和9年(1934年)築。
菅原栄蔵氏の設計。施工は竹中工務店。
昭和53年(1978年)に大規模な改修工事をしている。
最上階の外壁に
凝った装飾が見える。
この設計者の方は
よくF・ライト氏の作風に
似ているとか評されるが
確かに似ている。
確かに旧甲子園ホテルを彷彿とさせるモチーフ。
よく見ると、日本家屋の屋根も見える。
屋上の一角に神社があるのだろうか?
昔はよく、建物の屋上に神社が祀ってあった。
今でも社員の方々、もしくは役員の方々が
お参りされるのだろうか??
そしてH&M GINZA(手前) と、ヤマハホール。
H&Mという外資系高級カジュアル洋品店とでもいうか・・・
ここには以前、ガスホールがあった。
ちょっとしたコンサートなどに使われ、
アタシもコンサートの鑑賞で何回か来たことがあったが、
平成20年(2008年)に鹿島・清水建設が共同で
設計、施工を手がけて生まれ変わった。
昔、ガスホールだったので、
建物のデザインもガスの炎だそうな。
その隣にあるのがヤマハホール。
平成22年(2010年)に日建設計の手によって
新しく建て替わっている。
外壁のガラスのパネルには金箔がはめ込まれている。
離れた場所から見るとこの金箔サンドイッチのガラスが
まるで波のように見えるようになっているとのこと。
銀座を抜け、かつての汐留川だった場所にあった新橋へ。
よくテレビなどでサラリーマンのインタビュー場面の
放映でお馴染みの新橋。
あの「新橋」はこの橋があった場所から少し北になる。
大正14年(1925年)にこの「新橋」の親柱は橋の架け替え時に建てらた。
昭和36年(1961年)頃にこの下に流れる汐留川は埋め立てられ、
橋はこの親柱が残るのみとなった。
新橋のみならず、このあたり、否、「東京市」には川がたくさん流れていて
橋もたくさんあったのだが、戦後、急速にその大半以上が暗渠にされてしまった。
新橋の親柱のあったすぐ横には「東京行進曲」の歌詞が書かれた石碑があり、
またその石碑の後ろには「銀座の柳の2世」とされている柳の木もあった。
『植えて嬉しい 銀座の柳♪』と達筆で石碑には歌詞が書いてあり、
またその脇の照明も東京都の花でもある桜のデザインが施してあった。
かつての汐留川に架かる新橋を渡り(歩き)、歌の通りに電車通りを左に折れると
「旧新橋停車場」跡に建つ「鉄道歴史展示室」がある。
↓
http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/index.html
平成15年(2003年)築。
JR東日本建築設計事務所、日本設計が設計
清水組が施工しているが、もともとは
明治5年(1872年)に建てられた、
日本で一番最初の鉄道の停車場だった。
関東大震災で建物が倒壊し、昭和9年(1934年)に再建されるまではこれと同じ
デザインの建物だったようだ。
昭和61年(1986年)までは貨物駅として使われていたがその後、
貨物駅も廃止され建物は解体されて、新たにこの「鉄道歴史展示室」として
明治時代の建物を再現して建て直された。
個人的には昔の汐留貨物駅の建物の方が馴染みがあり、思い出も深い。
こちらで展示物を見学させていただき、
何点か資料も購入させていただいた後に係員の方に
あるお願いをしてみることにした。
ここは旧工部省、鉄道省の「停車場」だった場所だが、
東京市電の前身である「東京馬車鉄道」は開業当時はこの停車場の軒先を借りる形での営業だった。
市電唱歌ができた頃には馬車鉄道ではなく、
電化が完了していたので旧新橋停車場を利用することなく、
電車通り(現在の中央通り)に乗り場を構えての営業になったはずなのだが、
そのあたりの資料や詳しいお話を教えていただければと申し出て、
いろいろな場所や担当者の方々に問い合わせていただいたのだが、
結果的には誰にもわからないとのことだった。
仕方ないので、また電車通りに戻り
ヤクルトホールの玄関前にあった自動販売機で
飲み物を買い、豪雨の中を芝の町々へと
歩くことにしたのだが、あまりにも激しい雨なので
途中で挫折してしまった。
そして、また日を改めて歌詞に沿って第17番から歩くのだった・・・・・