






この神社は幸神社(さいのかみのやしろ)と読むそうな。
石碑には『皇城鬼門除』と書かれており、ここが鬼門封じとして建てられたことがわかる。
創建は平安京ができた頃(798年)と看板には書かれていた。
猿田彦大神を祀ってあり、奉納してある絵馬にも御幣を担いだ猿の絵が描かれていた。
神社の裏手の回ると、薄暗い中に木彫りの猿の像が安置されていた。
猿=去るにも通じる。難が去るのだろう・・・
「去る」というので、妖怪堂ご店主から聞いた話しを思い出したので、
ここに記しておくことにする。
かつて、しょちゅう氾濫していた加茂川を鎮めるために、安倍晴明ら陰陽師たちが川の中洲に
「法城寺」と言うのを建てたそうな。
「法」は『さんずい』に『去』と書く。
水が去るという意味に転じるそうだ。
「城」という字は『土』に『成る』となるので、
法城と書いて「水が去って、土に成る」という意味だそうな。
この「法城寺」は400年前になくなったお寺だそうなのだが、
実は三条の方に移築しており、観光目的で取り上げられるのを防ぐためにわざと隠しているそうだ。
妖怪堂さんの南側に名前を変えて今でもある。
その後、積善院の準提堂の中にある「崇徳院地蔵」へ。(写真5枚目)
保元の乱に破れ、讃岐に追放され亡くなった「崇徳上皇」の怨霊を鎮めるために建てられたのだが、
通称「人食地蔵」と言われるようになったそうな。
崇徳院(すとくいん)という発音がいつしか訛り、「ひとくい」になったようだ。
それからまた車に乗り、真如堂へ。(写真6枚目、7枚目)
ここには、安倍清明の「結定往生の印」というのがある。
これに関しては、注意力がかなり散漫になっていたので自分でもよく覚えていない。
従って、真如堂のHPにある説明文をお読みいただくのが一番だと思う。
真如堂HP
↓
http://shin-nyo-do.jp/ (ここの「伝承」の部分をクリックされたし!)
ここは、紅葉の季節はものすごい人になるそうな。
この真如堂を出て、2ヶ所回って終了となるのだが、続きは次回の更新時に・・・




















