munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

写真

25 9月

10年前のブロ友さんとの写真撮影会の時の写真

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この8月までは、ずっとヤフーブログに14年間いた。
その時に仲良くなった写真ブロガーさんたちの
東京の向島付近での写真撮影会に
「町歩き・路上観察担当」として何回か参加していた。
しばらくして、各個人のブログとは別に
一緒に撮影して歩いた時の写真や好きな写真を投稿する
写真ブログを複数のメンバーで運営していた。
このたびのヤフーブログ廃止をうけ、
そこに投稿していたアタシの写真をこちらに引き上げてきた。
上の2枚は、撮影会の前に1人で歩いて撮った元麻布の写真。
下の2枚は、向島付近での撮影会。
ちょうど10年前の10月11日の写真だ。
当時のメンバーのうち1人は故人となってしまった。
残りのメンバーたちとは今でもアタシが毎年帰省するたびに
一緒に酒を酌み交わしたり遊んだりしている。
ブログをすっ飛ばして普通のお付き合いになってしまったので
全員、パスワードもそのブログのことも忘れてしまっている。
だから、12月であのブログも消えるだろう。
皆さん、こだわりのカメラとレンズでの撮影だが
アタシは町歩き担当なので小さいコンデジ。
そして、アタシにとっての写真はあくまでも記録。
あれから10年、取り壊された建物も多いだろう。
5月、6月とその時のメンバーと会ったのだが
アタシを含む全員がそのブログのことは忘れ去っていた。





2 9月

第50回活動報告 青春18切符のプチツアー関宿 その3

イメージ 1このお宅の画像の左右にピンクで
印をつけた箇所には、鶴と亀の鏝絵があった。鶴と亀で1対なのだろう。
ここの鏝絵が年代的にも古く、
且、一番秀逸に見受けられた。
どれも、すばらしい鏝絵ばかりの
町なのだが、このお宅の鏝絵は、
お金のかけ方が違うのが
一目瞭然だ。
どれが一番などと書くべきでは
ないのだが、どれも同じと見るのも
イメージ 2
おかしなことになるだろう。
ゆきずりのおばさんにそんなことを
言われる筋合いではないということは、百も承知なのだが、これだけの
数の鏝絵を目の当たりにして、
その違いすらわからないことの
方が鏝絵を作った左官職人さんに
かえって申し訳ないような気もする。
 
鶴と亀の鏝絵は別のお宅にもあり、そちらの鏝絵もかなり美しい。
イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鏝絵というのは、元々は職人さんの至芸であり、
実際に我々の生活の場である家屋などに
施された物であるから、とてつもなくお金が
かかっている鏝絵と普段着感覚の鏝絵、プチ鏝絵などがあって当たり前だと思う。
そういう意味で、この町の鏝絵を見て歩くのも良いかもしれない。
お金をかけた家屋には、お金をかけた鏝絵。
普通の家屋には普段着の鏝絵。
そうでないと、バランスがとれないし、『不釣合い』はある意味、不恰好だ。
関の町の鏝絵は、それを痛感させてくれる。
イメージ 5
 
そういえば、「関の山」と言う言葉は
この関宿のお祭りの時に出る
山車(ダシ)から来た言葉だそうな。
 
今まで、全く知らずに使ってきた
言葉の意味がこの町に来て
やっとわかったのもお恥ずかしい
のだが、「関の山」の山は
「山車」のことで「ヤマ」と読むようだ。これも、西日本の文化なの
だろう。イメージ 6
 
今回の活動は、サークル初の
18切符を使っての移動だったので
わずか4時間くらいしだったが、
これをきっかけに毎シーズン、
遠出をすることになった記念すべき
サークル活動でもあった。
 
 
23 6月

旧日下旅館

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JR生野駅前にある、国の登録文化財。
かつては、「日下旅館」として営業されていらっしゃった。
明治43年(1910年)築、大正10年(1921年)に
3階部分を増築した木造建築だ。
このお宅の前の立て看板によると、その当時、姫路(瀬戸内海)から
城崎(日本海)までの間、三階建ての建物は二軒しかなかったそうな。
また、すべて炭火で調理から暖房までおこなっていたために
外壁や部屋の壁にも、さまざまは形のすかしの空気孔がある、
と、書いてある。
写真2枚目、3枚目の鶴や松の造形がそうなのだろうか?
またカラミ石の地下室もあるそうな。
カラミ石とは、鉱物を精製する時に生じる鉱石の屑を固めた石で
銀山のある生野では、このカラミ石を土台に使ったりしており、
街中のあちらこちらでこのカラミ石を見ることができる。
この日下旅館の大正10年(1921年)に3階増築当時の写真は、
生野銀山さん(http://blogs.yahoo.co.jp/baahus5st)のところで
見ることができる。
その写真を見ると、現在は雨戸で閉ざされている3階の手すりが
「旭日」のデザインになっているのも、時代を反映しているようだ。


生野銀山さんの記事
 ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/baahus5st/5635517.html 


1 6月

筑紫の丘斎場 その3

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収骨室(写真1枚目)も大変美しい。
年齢を重ねるたびに火葬場に足を運ぶ事が増えるのだが、
こんな収骨室はいまだかつて見たことはなかった。
3枚目の写真は待合室。
市松模様の畳敷きになっている。
とても、柔らかい雰囲気の造りになっている。
そして、何よりも驚いたのがトイレの洗面台だ。(写真4枚目)
石の1枚板が斜めにセットされ、流した水はそのまま傾いた奥の方に
流れ込むようになっている。
ようは、洗面ボウルやシンクのような物がない!のだ。
こんな洗面所は生まれて初めて見た。
写真5枚目はテラスだ。
この建物で気がついたのは、当然のことなのだろうが、
使われているタイルはすべてつや消しになっている。
そして、この内部にあるドアノブのすべても
普通のドアノブではなく、何らかの細工がしてある。
トイレの入り口のドアノブも然りだった。
本来なら暗く、悲しく、ちょっと怖い場所なのだが、
それらは全くない。
むしろ、いつまでもここにいたいと思わせる建物だった。
癒しの建築の傑作だと思う。
現にアタシもダンナも嬉々として、見学していたくらいだ。
最後にここを出る時に、偶然、裏手の金網が目についたので
その写真をアップするが、このフェンスの網目も
ものすごくオシャレだと思う。
この火葬場が見学できたのは、亡くなった「むにゅ」の
最後の最後のアタシへのプレゼントのような気がしてならない。
作り話のようだが、この火葬場の写真を撮りまくって、
車を発進させた途端、結構強い雨が降ってきた。
写真を撮り終わるまで、雨が降るのを遅らせてくれて
いたような気がして帰宅してきた。
思い込みかも知れないが・・・
だが、この建築いったい総工費はどのくらいだったのだろうか?
費用を聞くことの方が恐ろしいので(税金だから・・)、
知るのはやめておこう・・・







31 5月

筑紫の丘斎場 その2

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写真1枚目は入ってから入り口を見た図。
このまま壁(左の)に沿って進むと、写真2枚目の玄関に出る。
実際の葬儀の時にはここが玄関にあるそうだ。
ちょっと、かなり天気が悪く暗かったので
写真3枚目もアップしておく。(こちらの方が明るく見えるかも・・・)
ここを開けると、香華を手向ける告別室がある。(写真4枚目)
もちろん、この扉も金属の冷たい感じのするドアノブではない。
実際に使用する時は電気をつけるのでもっと明るい。
上に八角形の明かり、下の香華を手向ける台も八角形。
部屋全体の明かりをつけるともっと、この部屋も美しく見える。
更に一番、美しかったのが「炉前ホール」。(写真5枚目~7枚目)
5枚目は電気をつけていない状態。
6枚目は電気をつけた状態。
石のオブジェの回りには水が微かに流れているが、音はしない。
向かって正面の奥に炉があるのだが、(写真7枚目)
ちょっと見ただけでは壁にしか見えず、
上からの自然光が入ってくるおかげで、
まるで教会にいるかのような錯覚を起こしてしまう。
悲しみの場なのに、何故かとても癒される場所で
ものすごく穏やかな気分になり、いつまでもそこに居たいと
思う場所でもあったのだが、見学時間は30分。
ぐずぐずしていられないので、次へと移動するのだが
愛猫むにゅの火葬手続きなどでいろいろ話し込んだせいか
職員さんも収骨室を見せてくださったあと、ご自由にと、
事務所に戻られたので、かなり細かい場所まで見て回ることができた。
だが、写真が多すぎるので続きはまた次回・・・






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