munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

16 3月

猫様 in ●●峠

うちのすぐ裏の峠の道を車で走行しているときによく見かける猫様たち。
近辺には家もなく、山に住む猫様で鼬や野鼠などを捕食しているのだろうと
思っていたのだが、何故か夕刻近くになると峠の車道の脇に出没する。
イメージ 1一度、気になって車をそばに停めてみたら
4匹が走り寄ってきた。
肉もしっかりついているし、健康そうだ。
車を停めるとズンズン近寄ってくる。
れでいて車道には決して出ようとしない。
車道と山のギリギリの場所までしか
出てこようとしない。

イメージ 2イメージ 3わざと車から降りずに
窓を開けて写真を撮ったが
逃げるわけでもなく・・・
もしかしたら、誰かが
ここに車でご飯を運んで
来てくださっているのでは
ないだろうか?
痩せた山なので猫たちだけではこんな肉づきの良い状態で
生きていくのは厳しいと思うし、車が停まった瞬間に
山の方から車に向かって猫様たちは走ってきたのでそう感じた。
後日、この山の裏手の細い道に入っていったら、人家はなかったが
祠のようなお堂のようなところがあり、そこで雨露をしのいでいるのでは?と、
想像をしてしまった。    
イメージ 4イメージ 5

白っぽい猫様も体がそんなに汚れておらず、山の中の木の洞で寝ているようには思えないくらい
きれいだったからだ。
昼間、この峠を通っても猫様たちはいない。
毎日、同じような時刻にしか現れない。
車に轢かれることなく、病気をすることなく元気で
春を迎えて欲しい・・・・
12 6月

猫たちだけのお留守番

昨年の6月、鳥越祭りに帰省するために猫たちだけでお留守番をさせた。
その時は4匹だけのお留守番だった。
もう、猫たちだけにはさせまいと思いつつもこの5月から6月にかけて3回も
お留守番をさせてしまった・・・(反省)
5月は三社祭りで帰省。
また5月末には東京から友人がこちらに遊びに来て、
自宅に泊まってもらうことも考えたのだが移動するのに不便ということもあり、
結局、隣の駅前のビジネスホテルに一緒に宿泊。
そして、先週末は鳥越祭りでの帰省。
5月はまだ、昼間の気温もたいして上がらないし湿度も低いので
ある程度は安心だったのだが、6月が不安だった。
昨年同様、2階のベランダ側の部屋の窓を網戸だけにして、
且つ、網戸も安全ロックしたあと、養生テープで固定。
1階は風呂場の窓を網戸だけにし同じようにテープで開かないようにした。
風呂場には水を洗面器に3杯用意し、ご飯を食べる場所には2キロちょっと
ドライフードをたっぷり入れて、水の器も数箇所置いた。
念のために2階にも水を2つ。
イメージ 1一番、しっかりしていそうな虎王に
留守中のことをよろしくと頼む。
この虎王は臆病なのだが、
目新しい環境にも比較的すぐに
慣れるし、いつもと違う食事の
準備などから、アタシの不在を
察してくれるような気がする・・・

昨年の初めてのお留守番のときも
虎王が責任者に任命された。

虎王(とらおう)

虎王はキャットフードの一気食いはしないのだが、他の2匹がそれをやる・・・
イメージ 2イメージ 3 左が ギョロちゃん、右が パチロー

この2人(2匹)が食の鬼のごとく食べる。

だが、与えていったキャットフードは帰宅後もまだ残っていたので、
虎王も、ちゃんと食べられることができたと思う。
昨年は、もっとすごい食の鬼のような猫がいたので3キロのキャットフードを
置いていった。
今年は3匹、しかも6歳なので2キロでも4日くらいかかって完食。
3回とも3匹だけでお留守番できた。
どうも、全員、食事とトイレ以外は窓を網戸にしている2階にずっといたようだ。
2階が大好きな猫たちなのだ。
昨年末に死んだうどんのう~たんは、常にアタシのそばにいるので
あの猫だけは2階に固執せずに1階やケージの中にいたのだが・・・・
イメージ 4
今ではオリジナルメンバーの
3匹だけになってしまったが、
心臓の悪いギョロちゃんは
死んだ「うどん」が苦手だったので
今ではパワー全開で暴れまくる。

パチローも虎王も完全に下僕状態。う~たんが死んでからは
ギョロちゃんが王様に君臨。

                       うどん(う~たん)→もういないけど・・・                                                   
しかも、ギョロちゃんは普通にとぼけた振りをしていたずらをする。
ギョロちゃんを叱るときや牽制するときの決め台詞はただ1つ。
「うどんを呼ぶよ!う~~~うどん~~~!う~た~ん!」
呼べば、必ず飛んでくる猫だったから、アタシのうどんを呼ぶ声を聞くと
本当にギョロちゃんはギクっとする。
後ろを振り向き、うどんが来ないのがわかると憮然とする。
だから、念のために出かける前に
「出かけている間悪いことすると、う~が来るよ」とギョロちゃんに話しておいた。

そのせいか??帰宅後の家の中は無事だった。

もう、これからは暑くなるので秋までは猫たちだけのお留守番はさせられない。
いくらエアコンをつけて外出しても、落雷などで停電になったらエアコンが止まる。
2階の窓を網戸にしていても、真夏は猫の熱中症が怖い。

極力、これからの季節は長時間にならぬように心がけたい。
2階は夕立になったら雨が吹き込むので1ヶ所だけしか窓を開けられないが
1階のすべての窓を網戸にしてでかける方がよいかもしれない。
それか、逆に2階をエアコン。
1階は網戸だけにしてすべて開放状態でご近所に頼んで外出するかだ。
幸い、家が建っている場所が防犯的にはかなり良い場所なのでそれも可能だ。   
恐らく、冬場にあと2回くらいお留守番を頼めばもう猫たちだけのお留守番は
来年からはしなくてもすむだろう。

イメージ 5  今年もお留守番、大変よくできました!
猫は涼しい場所を見つけるのがうまいというが、
何故かうちの猫は2階の猫部屋を死守するかの如く
なにかの使命に燃えていて1階に降りてこない。
2階が40度近くなれば、1階に降りるのだが・・・
いったい、なんの使命なのだろう??





8 4月

猫様 in 某道の駅

ある道の駅に猫様が住み着いていらっしゃるので、たいていドライブの途中で
そこに立ち寄ることにしている。
いつもキジ猫様がいらっしゃる場所にはおらず、普通の観光客の目には
触れないような場所にキャットフードの入ったお皿がそっと置いてあった。
今日はいないのかもしれないとその場を離れたのだが、
車に戻る途中で白い猫様に遭遇。イメージ 1
ここではお初にお目にかかる白猫様。
写真ではわからないが、向かって右の耳に
イヤーカットが施されているので避妊手術済みだと思う。
 
この道の駅は猫様を追い払うことなく、
観光客からは見えないような場所で
給餌をしてくださったりしている。
恐らく、ここで保護して手術してからリリースしてくださったのだろう。
手術済みの猫様がここまで自力でやってくることは考えられない場所でもある。
近寄ると逃げてしまいそうだったのでズームで撮ってすぐに離れた。
こういう優しい道の駅ではお金を落さずには帰れない、いや、帰ってはいけない。
と、いうことでホットドッグやらソフトクリーム、コーヒーなどを食べて車に乗り
帰ろうとしたところ、先ほどの猫様がいらした場所とは反対側の道を
同じような猫様が歩いてきて寝転がられた。
イメージ 2イメージ 3
こちらは
白猫様でも
イヤーカット
されていない
ので前述とは
違う白猫様。
 
 
車に慣れていらっしゃるようで、どの辺りで車が曲がるのかを熟知していらっしゃる。
白猫様の手前をカーブする時に車の窓を開けて撮らせていただいた。
同じ道の駅でも、猫様に優しくてくださる所だとつい飲食したり買物をしてしまう・・・
結果的にはこの猫様たちは招き猫なのだろう。
17 2月

猫様 in 備前焼きのショウウィンドゥ

もう廃業されたらしい備前焼きのお店のショウウィンドゥの中に
猫様らしき物体が2つ・・・             イメージ 1
 
傷だらけのガラスのウインドゥには
備前焼の代わりにクリーム色っぽい猫様と
サビ猫様が2匹、陳列されていらっしゃった。
イメージ 2
 
 
 
 
 
覗き込んで写真を撮っていると
お店の奥の方からカーテンをくぐって
もう1匹猫様が登場なさった。
 
イメージ 3イメージ 4
 
もしかして
お腹が大きい?
 
このお腹だと
妊婦猫様に
間違いない。
 
 
イメージ 5そのうち、 ウインドゥの突き当たりの隅にいらした
サビ猫様がこちらに向かってらした。
アタシが向けているカメラに興味を持たれたのだろうか?
クリーム色っぽい猫様は気だるそうに時たま
顔をこちらに向けはするが、動こうとはなさらなかった。
 
備前焼きが陳列されていても恐らくアタシは
目を向けずにそのまま通り過ごしただろう。
個人的には、備前焼の陳列よりもこちらの陳列の方が
数倍好きでもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26 12月

さらばぢゃ!う~ちゃん!

3年前の2010年12月16日に日付が変ってすぐの午前1時頃だったか?
我が家の玄関先に1匹の猫がやって来て扉を開けろ!開けろ!と鳴き叫び、
半ば強引にうちの敷地内に入り、そのまま『入り猫』としてうちの猫になった。
生後7ヶ月くらいのその猫は「うどん」と命名された。
「うにゃうにゃ」とか「うぅぅ~~~」と鼻にかかった声で鳴くので
「う~ちゃん」とか「う~」などと呼ぶことが多かった。
イメージ 1
イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上の写真2枚はうちに来た翌日に撮影した写真だ。
 
家に入るなり歩き回ったかと思うと、猫用トイレを見つけるなりそこで用を足し、
また一回りして猫用ベッドを見つけるとそこで丸くなって眠るというすごい猫だった。
 
すでに先住猫の虎王の横に強引に座り込んで一緒に寝ている。
先住猫は3匹おり黒猫ギョロちゃん以外は威嚇しまくったが、
この「うどん」は非常に賢く逆らわなければそのうち受け入れてもらえると
理解していたようで一切反抗せずにおとなしく、且、じわじわと仲間入りを果たした。
 
翌年の12月にはめでたく「うちのコ1周年記念」を迎え、
欲しがりもしないのに猫用おもちゃやら毛布やらをたくさん買い与えられ、
しかも、買ってもらったおもちゃや用品はすべて使ってくれるという良いコだった。
他の猫たちのように「せっかく買ったのに・・・」ということは全くなかった。
目の前に人間の食べ物を置いても食べたりしない。
呼べはすぐに「うにゃうにゃ」言いながら飛んでくる。
まるで犬のような猫で、肩の上に乗ったりおぶさったりするのが大好きだった。
食事中でも旦那は肩の上から「う~」を無理に下ろそうとはしなかった。
下の2枚はやってきて1年後に撮影したものだ。
 
イメージ 2イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちょうど2011年の秋くらいから、黒猫ギョロちゃんに噛み付いたりするようになり
ギョロちゃんとは隔離されるような形で1階と2階で別々に生活することになった。
完全に隔離ではなく、昼間は「う~」が2階の寝室で生活し、ギョロちゃんは1階。
夕方くらいまでは同じ寝室に他の2匹も入れて3匹で生活させ、
夜に寝室の扉を開放。 
人間が寝る時に「う~」は抱っこされて一緒に2階の寝室へ行く。
夕方から人間が寝るまでの時間は、ギョロちゃんもうどんも一緒だ。
相手が嫌いなら近寄らなければ良いだけだ。
実際はう~ちゃんはギョロちゃんが好きだったのだが、
ギョロちゃんがう~を嫌っていたというか、怖がっていたようだ。
小さかったはずの猫が自分よりも大きくなって、力も強くなってきたところに
じゃれついたはずみで噛まれたところが化膿したからだろう。
 
昨年の12月は2周年。
イメージ 5
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先住猫の虎王やパチローとはとても仲が良かった。
だが、虎王は甘え下手な猫なのでもしかしたら、うどんのそばに居れば
自分も可愛がってもらえるかもしれないと考えている気がしなくもない。
実際うどんは甘え上手でもあり、叱られるとでんぐり返りをしたりして
拗ねるようなところもあったのだが、またそこが可愛らしくてついつい甘やかした。
青猫のパチローとは一番仲が良かったと思う。
何故か、食事の前になると自分たちのお皿の前で殴りあいをしていた。
かと、思うとどこへ行くにも一緒のような感じで2人(猫)セットで居ることが多かった。
 
今年の12月16日で丸3年。 3歳8ヶ月。
11月の半ばに呼吸が荒いのが気になり病院に連れて行った。
一番信頼している病院の院長が学会出席のために不在。
他の獣医師の診察だったので、仕方なく他の近くの病院へ。
ところが、レントゲン室でパニックになり呼吸困難であやうく命を落としかけた。
心臓が悪いとのことだった。
数日後、具合が悪くなり相談に行くも病院に対する不信感の方が大きかったので
その翌日、遠いが一番信頼できるドクターのところへ病院を変えた。
イメージ 7イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上の2枚は病気になってからの写真。
もともと伏し目がちなコだったので、左の写真のような表情をすることが多かった。
 
 
 
 
 
前の病院で死にかけたこともあり、通院自体がものすごいストレスになるので
コンデジで撮影した動画と細かい観察記録をつけて、
それをもとに投薬治療をいろいろ変えながら試してみましょうということになった。
年末になったら、アタシの旦那が出張から戻るので2人であやしながらなら
エコーも撮れるだろうし、最悪はアタシが防護服を着て一緒にレントゲン室に
入る予定もたてていたが、急に投薬を嫌がるようになった。
失禁しながら暴れ、息も絶え絶えになるくらい嫌がる。
もう、こうなると通院やエコー撮影などは寿命を縮めるだけでしかない。
そして、病院に相談に行った12月20日の翌日。
21日の明け方3時過ぎに苦しみだして死んでしまった。
今まで見たこともないくらいの苦しみ方だった。
どんなに苦しいだろうが、替わってあげられない。
痛みも苦しみも死へのステップなのかもしれない・・・
そう思うしかないのも事実だ。
体をさすりながら、他の猫たちを呼び一緒に看取らせた。
 
あまり詳しくは書かなかったが、アタシ自身、後悔はない。
心臓と聞いて覚悟もできていたし、病気がわかってからは人間のベッドでは寝ずに
一階のホットカーペットの上の猫ベッドの横で毎日寝起きしていたので
ずっと一緒にいられた。
とても寂しいけれど、何故か、悲しいのだがそんな喪失感もない。
寿命がだいたいわかっていたので、思う存分一緒に過ごせたからだろうか。
 
それに数回ほど、不思議なことがあってオカルトチックではあるが、
もうあのコは完全に「向こう」に行ったと思えるのだ。
 
 
心臓の悪い猫様の飼育経験のあるブログ仲間のAさんからは
全く食べられなくなってしまった「う~」のためにいろいろなフードや療法食を
何回も送ってくださったり、「う~が死んでしまうよ」とアタシの愚痴のようなメール
お相手をしてくださったBさん、Cさん、Dさん、Eさん。
死んでしまってからは、「うどん」の「う~ちゃん」にきれいなお花までいただいた。
元気だった頃にアタシと一緒に寝ていた人間の寝室のテーブルの上に
飾ってある。Bさん、Cさん、Eさん、お花をありがとうございました。
 
3歳8ヶ月、ちょうど丸3年うちのコだった。
短いけれど、濃い3年で本当に楽しかった。
命があるから死もあるのだと思う。
いつかはアタシも死ぬから、またそのうち、う~にも会えるだろう。
 
また会えるその時まで、しばしの別れだ!
さらばぢゃ!う~ちゃん!
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